吉屋 信子
「女人平家」の題名でも明らかなように、これは、平家の女性たちの物語である。平家物語には、女性の悲劇が語られてはいるが、それはあくまで傍流である。
清盛の家族、妻、娘達はほとんど語られていない。
その家族の女性たちから見た、平家の栄華と衰退を書いた物語である。
なかでも、清盛の妻となり、母となり、幼き天皇の祖母となり、そして、最期には、
壇ノ浦に沈んでいった時子、 冷泉隆房の北の方となる四女、 清盛と時子のやんちゃな末娘、
この3人を中心に話は進んでいく。
* 特に、四女佑子は、実によく描かれている。
清盛の妾の娘であり、最初は外で育てられていたのを、途中から西八条の清盛別邸に引き取られる。
平氏一族で固めた六波羅とは違い、西八条は時子や娘達が住み、すでに、4人の娘がいたが、
佑子はその誰よりも聡明で美しかった。
この美しい姉を、末娘の典子が慕うようになる。
やがて、佑子は漢詩の師である大江広元に淡い恋心を抱く。
広元は、鎌倉幕府の要人であるが、もともと京都にいて、佑子との恋に敗れた時、
親身になってくれた同僚が頼朝の密偵であったことから、頼朝側につくのであった。
広元との相思相愛の恋もかなわぬまま、佑子は冷泉隆房に嫁いでいく。
吉屋信子さんは、この色好みの冷泉隆房を酷評している。
誰もが一目で魅せられてしまうほどの佑子を強引に奪い、あるときは、姉妹で大切に飼っていた犬を
蹴飛ばして殺してしまう。
吉屋信子さんがなぜ、ここまで、隆房をけなしているのか、私にはよくわからない。
歴史上でも、それほど、悪評高き人物ではないはずである。
隆房をけなしにけなすことで、佑子の美しさと悲しみを引き立ているのであろうか?
佑子は当然この夫を好きになれず、心はずっと、漢学を習いしあの乙女の日々のままであった。
佑子が広元と再会するのは、ずいぶん後、平家滅亡の後、佑子が典子らと共に寂光院の女院を訪ねた際であった。
鎌倉の使いでたまたま居合わせた広元の威厳なる姿を見て、佑子は一瞬、あの乙女の日に戻る心地だったが
もし、この方と結婚していればこの方なら我が実家と共に都落ちし、壇ノ浦に沈んでいたはず・・・
この方のご生涯を損なわずにすんだと、喜ぶのであった。
男女の愛を越えた深い愛情を確認するこの場面が、もっとも感動する場面のひとつである。
平家の娘を嫁にし、平家が滅んだ今、肩身のせまい思いをしているであろう隆房らには、佑子は何の感情も抱かない。
* そして、また、佑子を慕う、典子も、隆房を嫌っていた。
そんな典子は、親子以上に年の離れた修理大夫へ喜んで嫁ぎ、嫁ぎし家から平家の衰亡をみていくことになる。
典子の生さぬ仲の娘も宮中で高倉天皇の寵愛を受けて皇子を産むのであるが、この皇子が、 安徳天皇都落ち後、
わずか4歳で後鳥羽天皇として、即位するのである。
遠く西海の家族を想いながらも、天皇の外祖母としての立場が典子にはあった。
幸い、心優しい継息子と、継娘に囲まれて、典子は平氏滅びし後も、静かな日々を過ごす事ができた。
そういった事情は、「平家物語」には一切触れられていない。
* 逆に「平家物語」に登場する人物は、こちらでは、多くを語られていない。
たとえば、建礼門院平徳子は、清盛次女で時子腹の娘であるが、容姿も人並みで、性格もおっとりして
おもしろみのない女性である。
また、清盛長男重盛も、平家物語他、普通一般の評価では、非常に立派な人物とされているが、 ここでは、
真面目で優等生ぶっているとされている。
時子腹ではなく、時子の方ではわけへだてなく接しているつもりであったが、重盛がよりつかなかったと されている。
* 傍流ではあるが、世尊寺伊行は、立派な人物として描かれている。
伊行は、建礼門院右京大夫の父親で、書家でもあり、「源氏物語」や「伊勢物語」の研究家でもあった。
伊行と妻、夕霧、そして、奈々こと建礼門院右京大夫の親子が芸や学に秀でた者として登場し、 読者に好印象を
与えているのはうれしい。
* 源平の合戦で勝利した源氏も、義経は斬られ、頼朝嫡流も三代で果てた。
それに対し、 貴族に嫁いだ平氏の娘達によって、その血は受け継がれていったのである。
「平家は女系によって今も滅びませぬ!」典子のその言葉で物語は終っている・・・
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