大原富枝
「建礼門院右京大夫集」をもとに、「玉葉」「明月記」などの記述を丁寧に調べ、大原富枝さんの「建礼門院右京大夫」が生まれた。
「建礼門院右京大夫集」は、第二次世界大戦中、招集された若き青年たち、残されたその恋人達に
愛読されたという。
平氏の若き武将として戦死した資盛と残された右京大夫、ふたりの悲恋に、自分たちのそれと重なり合う
部分を見出していたのであろう。
大原富枝さんもまた、大切な人の戦死を胸に刻んで生きていて、それがモチーフになっているともいう。
何年もつきあっていた恋人との仲を彼の母親によって引き裂かれ、彼はまもなく、資産家の娘と結婚する。
それだけでも悲しいのに、その直後、彼は召集されて、遠き戦地で死んでしまう。
そういう体験をしてきた大原富枝さんの心を、この「建礼門院右京大夫集」がまっすぐとらえないわけがなかった。
* 「建礼門院右京大夫集」でも重きをなしているのは、後半部をつらぬいている資盛へのさめやらぬ夢(愛情)である。
だから、右京大夫のもう一人の恋人の存在は、あまり知られていない。
知られていても、どちらかといえば、宮中における遊戯的な恋であろうと軽く扱われていた。
「新勅撰集」に右京大夫の和歌が取り入れられているが、その編者の京極為兼でさえ、誤認していたほどである。
資盛との贈答として入集している3首の和歌のうち、2首までも、もう一人の恋人のものだった。
その恋人とは、藤原隆信。彼も、色好みの歌人であり、「隆信集」を残し、その広い恋愛遍歴が伝わる。
この中に、右京大夫のそれと重なる部分があるので、ふたりの恋愛関係は確かである。
隆信を語る時忘れてはいけないのは、日本人なら誰でも一度は見たことのある「源頼朝像」を描いた人物という事だ。
昔は絵巻の顔のように、おぼろげに、同じような顔を描くのが常であったが、彼が似せ絵という、写し絵を始めたとされる。
頼朝の他には「平重盛像」も有名である。
この年の離れた芸術家、隆信との恋によって、彼女の才能と女性としての魅力はさらに開花していくのである。
私は、「建礼門院右京大夫集」における、資盛への深い愛情を想う時、この隆信との恋は蛇足にさえ思ったのだが、
大原富枝さんの「建礼門院右京大夫」を読んで、右京大夫の隆信への想いを認められる気がした。
それくらい、隆信のことが魅力的に描かれている。
* そして、資盛もまた、平家の事情と世の移り変わりともに、強くたくましい大人に成長していく様がよく描かれている。
今をときめく平家の嫡流の家柄の次男として、怖れるものは何もないような強引さで右京大夫の心を捉える。
右京大夫は、世間一般的な軽い恋などするまいと固く決めていたが、資盛の前に、その決心はもろくも崩れていく。
その年下の若公達の情熱も長くは続かなかったのだが、それでも、完全に途絶える事がなかった。
平家に翳りが見え隠れするようになると、資盛は、右京大夫が自分にとってどんなに大切な人物であるのかが
わかるようになっていったのではないかと私は思っている。
この小説の中で、一番印象的な場面は、資盛が右京大夫との寝物語りに、
「あなたは武士の家の子としての私を考えられたことがおありか? ないだろう?」 と問う場面である。
今までの自分は思い上がったいい気な若僧であったと、資盛は悟り、それを告白する場面である。
保元、平治の乱の武力でもって、上がってきた祖父清盛、父重盛の代とは違い、資盛は物心ついた時から、
ときめく家柄で 殿上人にまじり、貴族さながらに育てられてきた。
それでも、平氏は武士なのである。世の移りと共にそれを自覚しなければならない平氏の若者達の苦悩・・・
このときの右京大夫に、資盛のこの重みのある「武士の子」という言葉がどれくらい理解できたであろうか。
その答えを大原富枝さんは書いてはいない。
でも、後に、右京大夫は、知る事となる。資盛の壇ノ浦での入水の知らせでもって・・・
* この小説は「建礼門院右京大夫集」をほぼ踏襲した内容であって、書き初めも「建礼門院右京大夫集」の序文であり、
終りもまた、「建礼門院右京大夫集」の跋文でもって終っている。
また、和歌は、訳なしで原文のままのせられている。
「建礼門院右京大夫集」は詞書の長い故、日記風であるとされているが、この作品は、その詞書の部分を
さらに長く、歌と歌とを歴史小説風につないだものといえるのではないかと思う。
みごとに、現代によみがえった「大原建礼門院右京大夫集」であるといえよう。
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