上巻、要約


「建礼門院右京大夫集」の上巻は「平家栄華物語」となっています。ごく簡単にまとめました。


わたくしが、はじめて宮仕え いたしましたのは、17才頃のことでした。 高倉天皇中宮 徳子 さまにお仕えしていたのですが、わたくしと同い年の中宮様はおっとりとして美しくお優しい方でした。 後白河院女御 建春門院 さまと、おふたり、ならんだ様は、

春の花 秋の月夜を おなじをり 見るここちする 雲のうへかな 〔3〕
というように、かがやくばかりのお美しさでいらっしゃいました。

当時の宮中は、重盛さま、宗盛さま、 維盛さま、重衡 さま、知盛さま、 忠度さま・・・といった、平家の方々をはじめ、近衛基通さま、 藤原隆房さまといった、ゆかりの公達を中心にたいそう華やいでいらっしゃいました。
なかでも、維盛さまの美男子ぶりはたいそう評判が高く、光源氏の君が今生きていられたら、このようなお美しさであったろうと思われ、

なかなかに 花の姿は よそに見て あふひとまでは かけじとぞ思ふ 〔7〕
と、わたくしも胸の内で憧れておりました。

あれは、いつの春の日でしたでしょうか。基通さまが、隆房さま、重衡さま、維盛さま、そして資盛さまをお誘いになりお花見を催したとか。 その翌日、中宮様のもとへおみやげにと、みごとな桜の花が届けられました。わたくしが、中宮様にかわり、

さそはれぬ 憂さも忘れて ひと枝の 花にそみつる 雲のうへ人 〔9〕
と、詠んでさしあげましたところ、さっそく、隆房さまから、
雲のうへに 色そへよとて 一枝を 折りつる花の かひもあるかな 〔10〕
というお返事をいただきました。
そして、資盛の君からいただいた
もろともに 尋ねてをみよ 一枝の 花に心の げにもうつらば 〔11〕
と、率直な歌・・・わたくしにとって、けして忘れることのできない特別な思いのこもった歌になろうとは当時のわたくしには 知る由もなかったのでした。 当時、わたくしは、宮中で先輩や同輩の恋の噂を見聞きするたびに、このような恋愛はするまいと思っておりました。 しかし、朝夕、あの方と宮中で顔を合わせ、あの方からのお誘いをうけるだびに、あの方にひかれていってしまう気持ちは 否定できずにおりました。前世からの深い縁というものでございましょうか・・・。
夕日うつる こずゑの色の しぐるるに 心もやがて かきくらすかな 〔61〕
あの方にお逢いしてから、物思いにふけることも多くなっていったのです。
あの方は、清盛さまの嫡流重盛さまの次男で、お兄さまの維盛さまのお美しさには およばずながら、武にたけた男らしい公達と評判のお方。わたくしには、身分違いのお方。いっそのこと、思いをたちきって しまえたら・・・
ものおもへば 心のはるも しらぬ身に なにうぐひすの 告げにきつらむ 〔67〕
とにかくに 心をさらず おもふことも さてもとおもへば さらにこそおもへ 〔68〕
まったく、あの方に相手にされず、お姿も拝見せずにいられるならば、忘れられようものを、なまじ、宮中で顔を合わせる機会も 多く、それがくやしくもうらめしくもさまざま思い悩み、そしてお慕い申し上げてしまうのでした。

ある秋の日、あの方から、お父上の住吉詣で のお供から戻ったと、文をいただきました。 州浜 の形をした台の上にいろいろな貝殻をのせ、わすれ草がおかれ、

浦みても かひしなければ 住の江に おふてふ草を たづねてぞみる 〔76〕
という文が結ばれていました。
住吉の海辺で、わたくしのために貝殻をお集めになっているあの方のお姿や、わすれ草を手折るあの方のお心を思い浮かべ、じーんと胸が熱くなる思いでした。
住の江の 草をば人の 心にて われぞかひなき 身をうらみぬる 〔77〕
と、お返しをいたしましたが、この文は、わたくしの宝物になりました。

また、雪のたいそう降り積もった朝方のことでした。にこもり、さびしい庭をぼんやりとながめていると、 あの方が、突然、戸をひきあけて入っていらっしゃいました。里居のわたくしのひなびたありさまとはちがい、あの方の、 冬物の装いをすっきりと着こなしていらっしゃるなまめかしい様は、忘れられず、昨日のことのようにはっきりと思い出されます。
そして、夏の日の有明のこと。庭先の透垣 に咲いている可憐な朝顔 の花をご覧になって 「朝顔の咲きほこる花の命もほんのつかのまであると思うと、あわれなことだ」とおっしゃったお言葉も、今となっては、 せつなく思われます。

身のうへを げにしらでこそ あさがほの 花をほどなき ものといひけめ 〔115〕
朝顔の方こそ、わたくしたちのはかなさを知っていたのでしょうか?

心ならず、5年ほどお仕えした中宮様のもとを退くことになりました。病の母を看取るためです。里にこもっても、中宮様とお仕えしていた人々との あの、華やかな御所での日々が、とても恋しく思われます。
中宮様が、若君(のちの安徳天皇)を御出産なさったと聞くにつけても、めでたいと思いながらも

雲のよそに きくぞかなしき 昔ならば たちまじらまし 春のみやこを 〔125〕
と、わたくし自身の今の境遇を思うと複雑な気持ちでいっぱいでした。

里居の暮らしの中で、藤原隆信さまと再会いたしました。あの方とお逢いする前に、 親しくしていただいた方です。隆信さまからのお誘いをいただいたこともありましたが、その頃のわたくしは、恋愛など しまいと心を閉ざしておりました。

浦やまし いかなる風の なさけにて たく藻のけぶり うち靡きけむ 〔139〕
  と、隆信さまは、わたくしとあの方のことをご存じでいられるようでした。わたくしも、隆信さまの 皮肉にもにたお文に
消えぬべき けぶりの末は 浦風に 靡きもせずて ただよふものを 〔140〕
と、お返しいたしました。そして、いつしか、
越えぬれば くやしかりける 逢坂を なにゆゑにかは 踏みはじめけむ 〔146〕
と、後悔することになろうとは・・・ そして、わたくしと隆信さまのことは、あの方のところへも、伝わってしまったことでしょう。
あの方は、身のいとまなさにかこつけて、ほとんど訪れることがなくなりました。 隆信さまも、正妻をめとられたようです。
やがて、わたくしも、母が亡くなり、西山の兄のゆかりの地にこもり、
あはれてふ 人もなき世に 残りゐて いかになるべき 我が身なるらむ 〔201〕
と、ただひとり、ひっそりと暮らしておりました。

そんななかで届いた、「高倉院かくれさせおはしましぬ」の報せ。お近くで拝見した宮中での立派なお姿が思い出され 限りなく悲しく思われました。そして、中宮様のお心のうちを察すると、

かげならべ 照る日のひかり かくれつつ ひとりや月の かき曇るらむ 〔203〕
と、ますますつらく、そして、おそれおおいながらも宮中での平家の安泰に、どこかいいようのない不安を覚えるのでした。


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