胡蝶舞う

巻六


御所での逢う瀬は突然やってきた。

いつものように、女院様のお側を下がり自分の局へと向かう途中、 渡殿にさしかかったとき、ふと前方から、なまめかしい

気配が漂ってきた。

ひきつけられるように、そちらを眺めると、 二藍の直衣に縹色の指貫というたいそう立派な出で立ちの維盛様だった。

わたくしは、はっとして、その場に立ちすくんだまま動けなくなった。

御所へ上がったばかりの頃は、いつ会うかと常に緊張していたけど、 もう、ここで会う事もないのではと半ばあきらめて

すっかり油断していたのである。

維盛様は、何事もないかのように、わたくしの方へ歩み寄る。

そして、脇を通りすぎようとなさった時、

「そのままお進みなさい」

と小さな声で言った。

わたくしは、言われたまま、歩きはじめた。

そして、自分の局に戻ると、するりと維盛様が中に入ってこられた。

あっと思った瞬間、すでに、背後から抱きしめられていた。

「優姫。会いたかった」

維盛様は、わたくしの耳元で優しくささやく。

「中宮の藤壷へは毎日参るのだが、こちらへは、いざというと、 なかなか用がなくて。今日も、父上のお供でようやく

こちらに来れたものの、長居は できない身。これから、宮中へ参って宿直があるのです」

「わたくしのことなど、お忘れになったのかと思いました」

「ばかな。宮中でも女院様の新女房の噂でもちきりなのですよ」

「わたくしのことですの?」

「たいそう、美しい姫君だとの評判です。わたしが、どんな思いで、それを聞いてるか わかりますか?」

まだ見ぬ宮中でわたくしのことが噂になっているというのは、 なんとも不思議な気がする。

「言い寄ってくる男君に、あなたのお心が移ってしまわないかと、そればかり心配で・・・」

維盛様は、いっそう力強くわたくしを抱きしめる。

「まあ、ひどい。御所でもわたくしを守ってくれると 誓ってくれたのは、嘘なのでしょうか。わたくしは、その言葉だけを

信じて、 維盛様をお待ちしておりましたのに・・・」

全部を言いおわらぬ前に、わたくしの唇は、維盛様にふさがれた。

長いようで短い刹那だった。

「もう、戻らねば、あなたにも迷惑がかかります」

維盛様は、名残惜しそうに去ろうとなさる。

「お待ちください」

わたくしは、文机の上に置いておいた、貝合わせの貝のひとつを、 維盛様に渡した。

「これは・・・」

「貝合わせの貝にございます。女院様に頂きました」

「女院様に ?」

「たがいに持っていると、必ず、結ばれるとおっしゃっていました。」

そう、あれは、思いがけず女院様と、ふたりきりになったときのこと。

女院様は、わたくしに、対になった貝をくださったのである。

その貝は、いつもの貝合わせで使うのよりも、古びていたが、大変立派な貝だった。

「わたくしが、まだ、上西門院様にお仕えしていた頃、 女院様が、わたくしにくださった貝なんですよ。これを思う方と

たがいに 持ち合わせていると必ず思いが通じますよって。京極殿も、同じように 女院様に頂いて成親殿に渡したんです。

それで、お二人は結ばれたのです」

父上と母君の恋のお話を聞くのは、うれしいような、それでいて気恥ずかしいような気がする。

「では、貝のお力で、女院様も法皇様と?」

「さあ、どうでしょう」

女院様の、寂しげな笑顔に、わたくしは 聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、後悔していた。

「あなたは、思う方と、必ず、幸せになるのですよ」

そうおっしゃった女院様の優しい言葉が思いだされ、わたくしは、維盛様に貝を渡していた。

「わかりました、女院様の御言葉、信じてみましょう」

維盛様は、そうおっしゃって、再び、わたくしの手を強く握りしめていた・・・。

それから、数日後、 いつものように、女院様の許へお伺いすると、めずらしく、たったお一人でいらっしゃった。

「先日の、貝合わせの貝は、どうしましたか?」

女院様は、意味ありげに微笑まれた。

「もちろん、持っていますわ」

まさか、思う方に渡しましたと正直に言えるわけもなく、内心どきどきしながら答えた。

「そう。では、これは、どうしたことでしょう」

女院様の手元を見て、あっと驚いた。

女院様が持っているのは、まぎれもなく、女院様に頂いたあの貝の片割れ。

そして、維盛様にお渡ししたはずの貝。

どうしたことでしょうと問われても、わたくしにもわからなかった。

「中宮の藤壷より届けられたのですよ」

「中宮の藤壷・・・?」

「あなたに差し上げた物がどうして、藤壷に落ちていたのでしょう」

「申し訳ありません」

わたくしは、ただ、謝るよりほかなかった。

「責めているのではないのですよ。あなたが藤壷へ参るわけがないのですから。 思う方が落とされたのでしょう。

その方は中宮にゆかりの方なのですね」

女院様は優しくお尋ねくださったが、わたくしは、なんて答えたらよいのかわからず、 ただ、平伏すばかりだった。

「新大納言の君、いえ、優子姫。わたくしは京極殿を姉とも妹とも思って仲良くさせて いただいてきました。

だから、あなたのことも、わたくし、娘のように思っているんですのよ。 あなたの想い、必ず、かなえて差し上げたい」

女院様にこうまで言われては、隠す事もできず、わたくしは、維盛様への偲ぶ想いを打ち明けるのだった・・・。


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