胡蝶舞う

巻七


御所へあがって2度目の秋は、思いがけず中御門の里で迎えることとなった。

ここしばらく、寝込みがちだったので、女院様からようやく退出の許可が出た のである。

気分が晴れやかな日もあれば、どうしようもなく憂鬱な日もあるという具合で、 自分で自分自身をもてあましていた。

女院様の陰ながらの後見でいつのまにかわたくしたちの仲は、内裏でも御所でも 知らぬ人はいないほどになっていた。

それでも、御所では人目を忍んで逢う瀬を重ねてきたのである。

維盛様は、中宮の方の公務の忙しさを理由にこちらへは、いっこうにお出でにならない。

歌は苦手でといいながらも、文は絶えずよこしてくれるが、 気兼ねなく会える身になったというのに、少しさびしくもあった。

そんななか、小松の叔母君がたずねてくださった。

「叔母君とのお約束、果たせず申し訳ありませんでした」

叔母君に会うのはあの日以来であった。

「いいえ、今となってはわたくしの夢もかなったも同じことですわ」

叔母君は上機嫌である。

「今度こそ、優様もこちらへ来てくださるのでしょう」

「はあ・・・」

叔母君の勢いにわけもわからず圧倒される思いだった。

「優様のお腹の子が男君だったら、まぎれもなく平家のお世継。姫君だとしても、 将来の后がねとして申し分ありません」

「えっ?」

信じられない言葉を耳にした。わたくしのお腹の子・・・?

そう、わたくしとて、最近の自身の身に起きていた体の変化に気づかないわけはなかった。

ただ、初めてのことで、はっきりとそれと確信できるわけもなく、誰に相談できるというわけでも なく、どうしようもない

不安におびえていた。

だから、常に人目にさらされたも同然の御所から退出できてほっとしていた。

今、思いがけず叔母君の口から聞かされると、まぎれもない事実のような気がする。

わたくしが、懐妊・・・。

「叔母君は、なぜご存知なのですか?」

「姉上は御所でもいつも優様のことを気にかけていたんですよ。ただ、法皇様のお側で 公務も忙しく母として自由に動ける

立場ではないですから。とりあえず、御所よりは 里の方がということで、女院様にお願いして下がらせてもらったものの、

かえって、 こちらのお屋敷への遠慮もあって、わたくしに、すべてを託されたのですわ」

「では、母君も、女院様も、みな知っていたのですか?」

「ほほほ、わたくしたち、何人産んだと思ってますの」

そういって、叔母君は微笑まれた。

わたくしが母になる、このわたくしが・・・思わず、わたくしは、お腹に手をやる。

そうすると幾重にも着重ねた着物を伝って、芽生えたばかりの小さな生命の息吹が 感じられたのがなんとも不思議

だった。

このなんともいえない感覚をいとおしいと思った。維盛様とわたくしの愛の証・・・

「維盛様もご存知なのでしょうか?」

「まだ知らせてはいません。ただ、おそらく今回の里下がりのまま、御所へは戻らないだろう とは告げてあります。

正式な結婚も近いのだから、軽はずみな行動は慎むよう申してあります」

わたくしは、御所に戻らなくていいのにはほっとしていた。

正直言うとわたくしのように 才気もなく面白味のない者が御所で多くの殿上人や女房に混じって働くのは気が重かった

のだから。

女院様に格別の扱いを受けているとはいえ、いつまでも子供のようにおとなしく 側にいるだけでは、あの茶目っ気の

ある女院様もつまらないであろう。

法皇様の第一の女房として側近を相手に立派に立ち振る舞っている母君のようには、わたくしはなれない。

女院様に幼い頃からかわいがられ、女院様の信頼厚い健御前殿にも及ばない。

春より、中宮様の許へは、わたくしが姉のようにお慕いしている綾子様も出仕なさっている。

縁の深い藤原俊成卿の養女という扱いで出仕し、 召名も俊成卿よりいただいて右京大夫と呼ばれていた。

すぐれた芸術家の父母から受け継いだあふれる才能、 ご本人も気取ることなくあのとおり朗らかで明るい性格だから、

内裏にもすぐにうちとけ、その評判を御所にまでとどろかせていた。

あのような方こそ、宮仕えにはふさわしいのだ。

かといって、維盛様の北の方となって、小松のお屋敷にうつるというのも、よくわからないこと だった。

「わたくしが重盛様の許に嫁いだ頃には、すでに、維盛様そして、3歳違いで生まれてまもない弟君の資盛様が

いらっしゃいました。それでも正式な北の方はなく、わたくしは、兄上の勧めで 小松の屋敷に嫁いで行ったのです。

武士の家に嫁ぐというのは恐ろしくもありました。 慣れぬ生活に幾度、枕をぬらしたことか。でも、重盛様のお優しさに

導かれるように、 わたくしは、小松の屋敷になじんでいったのです。でも、優様は、安心なさってくださいね。

そんなつらいめにはあわせません。維盛様も、そして、わたくしもついていますからね」

そう言いながら、叔母君は心なしか涙ぐまれたように見えた。

このいつも優しく微笑まれている叔母君にも、わたくしにははかりしれない嫁ぎし頃の苦労の 日々があったことであろう。

その日々を一歩一歩、着実に歩んできたのである。

そして、わたくしを迎え入れようとなさってくれている。

わたくしは、この叔母君に愛されてきたことの幸せをかみしめているのだった。

わけもなくおぼろげながら感じていた不安、それに立ち向かえるような 強い人間にならなければいけない。

このお腹に宿したばかりの吾子(わこ)を守っていくために・・・。


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