胡蝶舞う

巻八


まもなく、占いによって選ばれた吉日(よきひ)にわたくしは維盛様との正式な新枕の夜を迎えていた。

貴族の旧式の通り、維盛様より求婚の歌が届けられ、今夜より三夜連続して通い、 三日目の朝、所顕しをすることに

なっていた。

その後、六波羅へ移り、そちらで平家一門による祝宴が行われる予定であった。

律義な維盛様は、今日までついに訪れる事はなかったのである。

「叔母君のお体のお加減はいかがでしょうか」

維盛様に会うなり、わたくしは叔母君のことを尋ねずにはいられなかった。

母君のかわりに、この結婚の準備を尽くしてくださっていた叔母君が、急の病で倒れたという。

かわりに、清盛様の北の方、八条の二位時子様の侍女があれこれと準備をしてくださった。

「わたくしのことで、ご心労をかけてしまったのではないのでしょうか?」

「いや。・・・あなたは、久しぶりに会ったわたしより、母上が 心配なようだね。」

「まあ、そんな。わたくしたちがこうして今日の日をむかえられたのは ひとえに叔母君のおかげではございませんか」

「もう、今日からは叔母君ではなく、母上とお呼びなさい」

「そうですね。今までも実の母上のようにお優しかったけど、今日からは ほんとうに母上なのですね」

「そういう、あなただって、もうすぐ母になってしまわれる。こんなに若いのに・・・」

わたくしたちは、いつのまにか褥(しとね)の上に横たわっていた。

愛の言葉のささやきでもって衣が一枚一枚はがされていく。ふと意識を失いかけた時、 びくっと何かに驚いた維盛様に

わたくしもはっと我に返った。

女の体から母の体へと変わりゆくのを維盛様も感じてしまったにちがいない。

わたくし自身でさえ 日々の変貌にとまどうこともあるのだから、まして、若い維盛様にとって初めて触れる女の体の神秘 に

言葉を失っているようだった。

「お恥ずかしゅうございます」

「すまない」

何がすまないというのだろうか。わたくしは言葉を返せなかった。

維盛様は小袖の乱れをそっと整えてくれて、わたくしをご自分の傍らへ 優しく引き寄せた。

「わたしにはまだ子を生す(なす)というのがどのようなことかわからないのだよ。 あなたの苦しみも喜びもわからない・・・」

「仕方がないではありませんか。ずっと離れ離れだったのですから」

維盛様は黙ってわたくしを抱きしめた。

「維盛様も今にきっとわかりますわ。 これからはずっと一緒にいられるんですもの・・・そう思うと優子はとても幸せに

ございます。 このお腹の吾子をいとおしいと思うのも維盛様の子供だからこそ。 たとえ和子でも姫でも、

維盛様に似て、美しい子供ですわ」

「いや、優様に似た見目うるわしい姫君が欲しい。吾子にはわたしのような思いはさせたくはない」

そうおっしゃった維盛様のお顔の表情に一瞬翳りが見えたのをわたくしは見逃さなかった。

普段、その端麗な容姿から華やかに見える維盛様の、初めて見せた素顔かもしれない。

今をときめく平家の嫡流として誰もがうらやむ身分とその美貌を持ち合わせるこの方にも 人には見せぬご苦労が

おありなのであると思うと、胸がつまった。

それをわかってさしあげる唯一の人が、わたくしでありたいと願う。

維盛様にとってわたくしはなくてはならない存在でありたいと思う。

御所での宮仕えはわたくしにはつとまらなくても、維盛様を支えていくことなら わたくしにもできるはず・・・

いえ、どんなことがあっても、支えてみせる。 ・・・それが北の方になるということなのかもしれない。

「ほら、思ったとおりですわ。もうちゃんと父親としての発言をなさっていますもの」

そう申し上げて維盛様のお顔をのぞきこむと、維盛様ははにかんだように笑われた。

こんな笑顔も初めてである。こうして いくつもの新しい顔を発見するのが小さな喜びだった。

わたくしは幸せな時が静かに流れていくのを感じていた。

でも、維盛様はわたくしとは別のことを考えていたようである。

「さっきの、母上のことだが」

「お義母様(おかあさま)のこと?」

「実は母上は優様にはよけいな心配をかけまいと病だとおっしゃられた のだが。」

「まあ、病よりも心配なことが他にございまして?」

「堅く口止めされていたんだが、いずれわかることだし。それに、優様にも 事情は知っていて欲しいから、話すことに

するよ」

わたくしは固唾を飲んで、維盛様の言葉を待った。

「祖母上がわたし達のこの結婚に乗り気ではないんだ。」

もちろん維盛様の祖母君とは、清盛様北の方時子様のことである。 わたくしがお仕えしていた建春門院様の年の離れた

姉君にあたる。 二位殿と呼ばれるこの御方にも、わたくしは御所でお会いしたことがある。

「二位様が・・・なぜ?」

「池禅尼と呼ばれた方を知ってるかい?」

「池禅尼様・・・」

「わたしには曾祖母上にあたる」

「ええ、承知しております。先の騒ぎでは源氏の大将の御子息を助けて差し上げた 心優しい方」

「優様にかなっては誰もが心優しい方になってしまう」

「だって、ほんとうではございませんか」

源氏の大将義朝様が平氏を倒そうと起こした平治の乱に敗れ斬られた後、その御子息の頼朝様も斬られるところを、

池禅尼様の必死の命乞いと重盛様の助言で伊豆への配流ですんだというのを、何かの折りに聞き知っていた。

「たいへん気性の激しい方でね。命乞いだって、ご自分の亡き子供に 似ているからという理由だったんだし。 父上も

幼少の頃、母上を亡くしているんだが、その母上というのが曾祖母上の姪にあたる人でね。 孫の父上もずいぶん

かわいがっていたんだ。その反面、後妻の祖母上にはだいぶ つらくあたったようだよ」

「では、二位様は池禅尼様をお恨みしていたのでしょうか?」

「いや、あの方は、さすがは祖父上が見初めただけの方、 そんなに心狭き方ではない。今の平家の栄えあるのも

祖母上の内助の功あってこそ。 だが、嫡流は我が小松の直系にある。表立ってはおっしゃらぬが祖母上にとっては

それが おもしろくないのだろう」

それはその通りなのかもしれない。中宮徳子様は二位様の御娘であり、二位様を生みの母とする 宗盛様、知盛様らも

武にたけたすぐれた方。二位様とて、我が子がかわいいに違いない。

「父上は、あのように立派な方。父上の期待にはそいたいと思う。だが、わたしは 嫡流などにこだわってはいないのだよ。

我が平家の嫡男は祖父上にせよ、父上にせよ、 わたしにせよ、幼少の頃に母と死に別れている。何か不吉な予感が

しないか」

「そのような、おそろしいこと、おっしゃらないで」

「わたしは、優様とこうして静かに暮らせればそれでいいのだよ」

「わたくしも、維盛様のそばにいられればそれで・・・」

わたくしには維盛様のおっしゃっている意味が全部わかっていなかったのかもしれない。

行く末に一抹の不安は感じながらも、今は、初恋の君と結ばれた幸せにひたっていたくて、 何も見ないかのように静かに

目を閉じていた・・・。


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