胡蝶舞う

巻九


御簾ごしに見る宴の世界はまるで別天地に迷いこんだかのようだった。

御所の華やかながらも厳かな雰囲気とはまた違う。

どこか異国の香り漂うのはここが六波羅の中でも他ならぬ清盛様居住の泉殿と呼ばれるお屋敷だからであろうか。

平家は清盛様の父の忠盛様の頃より、遠く異国の栄からの来航船と貿易を行い、織物、香料、陶器などを貴族に売り

巨大な 富を築きあげてきたという。

特に、ここ泉殿は清盛様の本拠地でもあるから、そうしためずらしい調度類の数々がおしげもなく使われていた。

六波羅は、鴨川を越えた東山清水のふもと、鳥辺野の一角に位置している。

五条から七条にかけて平家一門の館、親類郎党の住まいが密集し、その数は5000以上にも及ぶとされている。

わたくしは、その様子をまだ見てはいない。中御門の父上の屋敷から牛車でまっすぐ泉殿に連れてこられたのだから。

ほんとうは、わたくしは、六波羅でも辰巳の角にあたる小松谷の重盛様のお屋敷の西の対に入るはずであった。

小松谷は、わたくしがお仕えしていた法住寺殿の女院様の御所とは目と鼻の先である。

しかし、吾子の出産は泉殿でという時子様の要請で、わたくしは、泉殿北の対へしばらくとどまることになったのだ。

北の対といっても時子様は、通常は清盛様の私邸である西八条の方に住んでいたので、少しは気が楽だった。

そして、今、祝宴もここ泉殿で行われている。

平家の嫡男の婚姻ということで、平家一門はもちろん、主だった家柄の貴族達が次から次へと駆けつけてくる。

御所での宮仕えのおかげで、ほとんどの方と顔見知りであった。

近衛基通様、冷泉隆房様は清盛様の娘を北の方にしている。その北の方らにとっては久しぶりの里帰りとなった。

わたくしの家からは、父上の代わりに、4歳年上の兄の成経様が来ていた。兄上もまた、ここ六波羅とは縁深く、

つい最近、門脇殿と呼ばれる、清盛様の弟君の教盛様の娘と結婚したばかりであった。

母君は、御所よりの使いという名目でやってきたが、言葉を交わす余裕もなく、早々と帰っていった。

平家の人々は里邸での祝宴ということで、御所で会うよりもくつろいでいられる様子である。

やがて、経正様が得意の琵琶を披露なさる。この方は、清盛様の弟君、経盛様の長男である。琵琶と歌をこの上なく

愛する風流な、そしてお美しい殿方で、内裏でも御所でも女房達の人気者であった。

それに合わせるかのように、資盛様の筝の琴が加わる。資盛様は維盛様の弟君である。維盛様に よく似たこの君も

やはり、叔母君とは生さぬ仲であった。

そして、維盛様自らも笛を吹きはじめる。わたくしは、維盛様の笛の音をうっとりと聞き分けていた。

ふと、気づくと、あきらかに違う笛の音色が混ざっていた。

「あら?」って思っていると、経正様の側で、5歳6歳くらいのあどけない稚児が、たどたどしいながらも一生懸命、

笛を吹いていたのである。

「あの子は?」

わたくしは、思わず、傍らに控えていた桔梗に尋ねていた。桔梗は、わたくしが御所を退出する時に 一緒に退出し、

それ以後もわたくしの第一の侍女となっていた。

「敦盛様です。」

「敦盛様・・・」

「経正様の弟君にございます」

「まあ、経正様にはあのようにお年の離れた弟君がいらしたのですね」

そういわれてみると、おふたりは、親子といってもよいくらい、よく似ていらっしゃる。

経正様がその雅びぶりから人の心を魅了してやまないように、敦盛様にも幼いながら、人を惹きつける 何かを

お持ちである。維盛様も、この小さな笛の楽人に演奏を譲り、微笑えみながら見守っている。

行く末が楽しみな美しい若君であった。

・・・宴は、延々と続いていた。だが、わたくしは、身重な体を理由に、早々と、北の対の新しい部屋へ 下がらせて

もらった。そこで、わたくしを待っていたのは、お義母様であった。

「優様、おめでとうございます」

「お義母様。」

わたくしは、お義母様のそばへ寄り、思わずお義母様の手をとった。

「優様、さぞかしお疲れでしょう」

「わたくしのことよりも、お義母様、お体は大丈夫なのですか?」

「ええ、大丈夫よ。ごめんなさいね。何の準備もしてあげられなくて」

お義母様は心なしか、やつれてみえた。もしかしたら、病気というのは本当ではないかと思ったほどである。

「お義母様、水臭いではありませんか。わたくしも、もう、平家のひとり。 これから、わたくしが、お義母様をお守りする

立場ですわ」

「優様がわたくしを?」

「はい。一刻も早く、このお屋敷になじんで、維盛様と共に、お義母様をお守りしていきたいと思っています。」

「まあ、なんて、頼もしいお言葉なんでしょう」

お義母様は本気にとらえようとはせず、おもしろそうにお笑いになる。

「そのためには、いろんなことを知りたいと思っています。 ですから、お義母様も、包み隠さずになんでもおっしゃって

ください。」

お義母様は、しばらく黙っていらっしゃったが、ややあって、

「さては、維盛様が話してしまわれたのですね」

と、ため息をつかれた。

「はい、お祖母様とのこと、伺いました」

「維盛様も御自分の口からは肝心なことは話せなかったようね」

「肝心なこと?」

「なぜ、お義母上がこの結婚に乗り気ではないのか。 優様が知ってしまったら、きっと悲しまれますわ」

「それでも、かまいません。すべてを知りたいんです」

「実は、お義母上は維盛様の相手に、 御自分の弟君の親宗様の娘の良子様をすすめていたのです」

あっと思った。維盛様にわたくし以外の縁談があったとは・・・。しかも、お相手が、祖母君の姪。

つまり、女院様にとっても姪にあたる姫君である。わたくしと同じ位の齢であろうか、確か一度、御所で 遠目に

お見かけしたことがあったが、たいそう美しい方であった。

「優様、安心なさって。維盛様も『心に決めた姫がおります』とはっきりお断りしていますもの。 わたくしが、優様とのことを

すすめてきたのは、お二人の互いのお気持ちをよく知っていたからなのですよ」

「・・・わかりました」

お義母様の慰めの言葉に、わたくしは、こう答えるしかなかった。

維盛様は祖母君の勧めを断って、わたくしを、選んでくれた。わたくしだけを愛していこうと誓ってくれた。

その言葉に偽りなどあろうはずがない。・・・そう、思っていたい。

一夫多妻がこの世の常の習わし。お義母様もその立場に立派に耐えていらっしゃる。

それを思うと、わたくしは、まだ幸せなのかもしれない。

わたくしは、維盛様の思われ人となった我が身の幸運を、あらためて、かみしめているのだった・・・。


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