巻十
月満ちて、まもなくわたくしは吾子を産んだ。維盛様とわたくしの「姫君を」という秘めたる願いもかなわず、泉殿に元気な産声を響かせたのは若君だった。
その産声を聞きとどけると、わたくしは意識を失っていった。
目が覚めた時、誰もいない部屋にひとり寝かされていた。そして、隣には赤子が眠っていた。
ほんとうに玉のように美しいとは、この子のためにある言葉のような気がする。
赤子の美しさに維盛様の面立ちをみてとり、わたくしは、この赤子がいとおしいと思った。
思わず、赤子の頬に手がのびかけた時、
「目がさめたようだね 」
と、維盛様が入って来られた。
「維盛様・・・」
「優子、よくがんばった」
維盛様は、わたくしをいたわるように抱きしめてくださった。
「維盛様によく似た美しい和子にございます」
「いや、若君は母親に似るというではないか。優子の可憐さに似てるんだよ」
わたくしもそして維盛様も、姫君をと願っていたことなど、この若君を見たら忘れていた。
「この手で抱いてもよろしいでしょうか?」
わたくしは、維盛様のお顔をおずおずとうかがった。維盛様は黙ってうなずかれた。
わたくしの子であって、わたくしだけの子ではない。
若君として生まれたときから、平家の嫡男「六代」として、この子の将来は決まったようなもの・・・。
平家の先祖をたどると、遠く桓武天皇の第五皇子、一品式部卿葛原親王にまでさかのぼる。
それから九代の後胤にあたるのが、正盛公であった。伊勢より起こり 京の都へのぼり、時の白河上皇に接近し、
富と勢力を拡大していった。
その子、忠盛公の時代になると、鳥羽上皇の御願寺である得長寿院を造営献上した功績で ついに、殿上人となり得た。
その子、清盛様のさらなる活躍はいうまでもない。 わたくしの産んだ若君は、この正盛公より六代目にあたる。
維盛様の幼少の頃の名が「五代」であるように、また、この若君は、「六代」と 命名されることになっていた。
わたくしは、初めて赤子を抱きあげた。 おとなしく眠ったままである。
わたくしが母ですよ・・・そう、心の中で語りかけた。もう幾十日もお腹の中の吾子に 語りかけてきたのだから、
若君もわたくしを母だとわかるのであろうか。
「乳母の乳をよく飲んだようだよ」
「そうですか」
吾子なのに自分のそれを与えることも許されない。もっとも、この子にかぎったことではない。 わたくしとてそうやって
育ってきたのである。 乳母は祖母君が手配してくれていた千萩という侍女であった。 祖母君付きの侍女であったが、
万事控えめな気立ての
やさしい性格で好感の持てる方だった。
祖母君は維盛様のお相手には、ご自分の姪をと望まれた。 おそらく嫡流の血に、ご自分の血を残したいと思われた
のではないだろうか。 にもかかわらず、お義母様が強引にわたくしとの結婚を勧めてしまった。 わたくしが身ごもると、
祖母君もわたくしのことを認めざるを得なかった。 そのかわり、嫡男の可能性のあるこのたびの出産とその養育は、
祖母君が仕切ろうとなさっていた。 お義母様もそれを悟って、身をひくしかなかったのである。
お義母様のお気持ちを思うと、わたくしも祖母君に従うほかなかった。 祖母君にすべてをゆだねるのが一番いい。
この子の約束された将来の為にも・・・。
「重盛様と佳子様がお見えになりました」
桔梗が、お義父様とお義母様を案内してきた。
「優子殿、よくやった」
お義父様が入ってくるなり言った。
「優様、ご気分はいかがですか?」
お義母様も、重盛様の後ろに控えて微笑んでいらっしゃる。
「はい、おかげさまで」
「わたくしにも、抱かせてくださいませ」
お義母様がそばへ寄って来られたので、わたくしは、若君をそっと預けた。
「ほんとうにまあ、なんて美しい若君なのでしょう。 維盛様と優様の美しさをしっかりと受け継いでいらっしゃること。
ねえねえ、あなた、この口元の賢そうなところは、あなたに似てましてよ」
「おお、どれどれ」
重盛様も吾子の顔を覗き込む。初孫に、しかも嫡男の誕生にお義父様も上機嫌である。 お義母様も、いつになく、
はしゃいでいらっしゃる。
そういえば、お二人揃いの時にお会いするのは初めてであった。 ほんとうに仲睦まじいお二人である。
維盛様もやれやれといった表情でお二人を見守っている。 わたくしの視線に気づき、目が合うと、にっこり笑ってくれた。
親子三代の水入らずのひとときだった。
その日から産養の祝いが続く。
今をときめく平家の嫡男の誕生とあって、その祝宴はわたくしたちの婚礼の祝宴より 盛大だった。
わたくしは、その様子を遠くから見ていた。 そして、7日目、若君に正式に「六代」の命名がなされるのを見とどけると、
六代を泉殿へ残しわたくしは、小松の屋敷、西の対へと移った。
小松の屋敷の方は、お義母様が、万事整えてくださっていた。
泉殿の華々しさとは違い、お義母様らしく清楚に調えられ、 わたくしは、久しぶりに心が安らぐのを感じていた。
今までは朝というのは別れの時であった。 でも、結婚してからは、帰ってくる夫を待つ朝というのを知った。
今朝は、維盛様は藤壺の方の宿直明けであった。
「お帰りなさいませ。お休みにならなくてよろしいんですか?」
「なんだか、気分がいいんだ。昨夜は、隆房殿や、経正殿といった身内ばかりだったからね。
いつのまにか、宴が始まっていて、夜通し続いたよ。あの右京殿も一緒だったんだよ」
「まあ、右京様も。それはそれは、楽しい夏の夜の宴になったことでしょう」
右京様とは、わたくしが姉のようにお慕いしている綾子様のこと。 わたくしとは入れ替わりで中宮様の藤壺に宮仕え
なさったので、ほとんど会う機会がなく寂しく思っていた。 維盛様は、中宮権亮であるから、藤壷へ詰めており、
右京様とは絶えず顔を合わせていた。
「優子、庭に出てみないか?」
「え、庭に?」
あまりにも唐突なことだった。
「まだ庭には出てなかっただろ? もうここは優子の屋敷なんだから、庭くらい知ってないと」
「それはそうですが」
「さあ、さあ、行こう、行こうよ」
維盛様は、まるで、子供のように、わたくしの手をとって、今にも走り出しそうな勢いである。
昔、蝶を追いかけたあの時のことが思い出されて、なんだか、じーんと熱くなってきた。
侍女の桔梗の装束を借りて身をやつし、維盛様に手をひかれたまま、小松のお屋敷の庭を歩いて回っていた。
お義母様は、わたくしたちの生まれ育った中御門烏丸の庭が一番好きだといっていたが、 ここもなかなか風情のある
立派な庭である。 四季それぞれを彩る花が植えられている。 今の夏の時期に、牡丹の花が目にとまった。
忠盛公が宋の船で運ばせた中国原産の花で、六波羅の館には たいてい、この牡丹が見事に咲いているという。
「実は、庭に連れてきたのは、優子に見せたい物があったんだ」
「まあ、なんでしょう」
「ほら、この桜の木。あいにく、花の季節ではないが。見覚えあるだろ?」
わたくしは、意味をはかりかねて、維盛様のお顔をうかがう。
「中御門烏丸の屋敷から移された桜なんだよ」
「まあ・・・では、お義母様が」
「いや、違うね。成親卿北の方から、結婚のお祝いにいただいたんだ」
「・・・まさか、あの母上が?」
わたくしは、強く衝撃を受けていた。 わたくしとは血のつながらない母上である。
わたくしが11歳の頃、父上は京極殿と呼ばれた母君 と別れ、新しい方を北の対へ住まわせるようになった。
そして、すぐ、わたくしには年の離れた妹君が生まれた。 わたくしは、そんな父上を許せなかったし、新しい母上を
母上とも呼べなかった。 屈折した少女時代を送っていた。
そして、その思いを、今の今まで心の底で引きずっているのだった。
その母上がわたくしのために思い出の桜の木を贈ってくれた・・・。
「北の方様・・・いや、優子の母上はわたしにとっても、母上だね。わたしたちが、桜の縁(ゆかり)で 結ばれたことを
知り、この花を贈ってくださったんだ。優様を幸せにしてあげてくださいと、 わたしに何度もおっしゃったのだよ」
「母上が、そんなことを・・・」
こんなにお優しい方だったとは知らずに、 最初から打ち解けようとせず、母上を避けてきた自分が情けなかった。
自分自身も子の母となった今なら、母上へともわかり合える。
この桜の木を見て母上の気持ちを思うと、そんな気がしてくるのだった・・・。
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