胡蝶舞う

巻十二


昨夜からまんじりともせずに帰らぬ夫を待つ朝を迎えてしまい、 そのまま文机に向かい、文を書いていた。

「お呼びでしょうか?」

先程呼び寄せておいた桔梗が折よくやってきた。

「ええ。実はあなたに文使いを頼もうと思って」

「かしこまりました」

「大切な文ですからね。必ずあなたが行って相手の方に会って 直接渡すのですよ。

お返事がいただけることになってます。そのお返事を お待ちして、その方の指図に従うように・・・」

「そんなに重要なお使いが、わたくしに務まりますでしょうか?」

桔梗は心配そうにわたくしをみつめた。

「これは、あなた以外に誰も務まらないのです」

わたくしは、なおも不安そうな桔梗の手をとり、文をしかと渡した。

「こちらを、清経様に届けてちょうだい」

わざと声をひそめて言うと、桔梗は、はっとして、わたくしをみつめた。

「さあ、早く。行きなさい」

桔梗は、黙ってうなづき、さがっていった。

ふーっと、ため息がもれた。

昨夜のこと。待てども維盛様の帰らぬ夜、眠れぬまま、ふと夜空が見たくなり、部屋を出てみた。

簀子を渡り歩いていると、どこからともなく、かすかではあるが、女のすすり泣く声が聞こえた。

わたくしは、その泣き声を確かめようとして、はっとした。

それが桔梗であると気づくのと、部屋の中から男の声が漏れてくるのとほぼ同時であった。

「桔梗、泣かないでおくれ」

「お願いです。もう、あきらめてください。わたくしは、最初から、清経様の北の方になろうなんて思っていませんもの」

「いや、わたしはなんとしても、あなたと添い遂げる」

「無理ですわ、身分が違いすぎます」

「小さい頃から一緒に育ってきたではないか」

「だからこそ、このお邸にはご恩があるのです。佳子様を悲しませることはできません・・・」

一瞬、耳を疑った。清経様と、桔梗が・・・?

それからずっと二人のことが頭から離れられなかった。桔梗は、幼い頃からこのお邸で育ってきた。 子供に

とっては身分なんて関係なく 仲良く育ってきたに違いない。 特に清経様とは年も同じくらいだったし、きっと淡い恋心で

結ばれ合っていたのだろう。 現、北の方第一の子としておおらかに育ってきた自由奔放な性格の清経様であるから、

きっと、こうと思ったら、 必ず桔梗を手に入れるに違いない。 身分は低いとはいえ、維盛様の乳母の親戚でもある。

不似合いなこともなかろう。 わたくしも、桔梗のことは大切に思っているので、なんとか二人の願いをかなえてあげたいと

思っていた。

そして、清経様を呼び寄せる文使いを頼んだのである。 思った通り、清経様は桔梗をつれて、すぐにやってきた。

「わたくしは、昨夜、あなたたちの秘密を聞いてしまったのです。清経様、桔梗へのお気持ちは本当ですね」

「もちろんです。わたしたちは筒井筒の仲。桔梗のことなら姉上よりもよく知っているつもりです」

「お義母様には話されたのですか?」

「はい。でも、まったく相手にしてもらえませんでした」

「では、わたくしから、お義母様に、説得させてください」

「姉上が?」

「はい。わたくしにも、覚悟があります」

清経様と桔梗は、わけがわからないといった様子で顔を見合わせていた。

わたくしは、母上の北の対へ渡った。

「まあ、優様。体調がすぐれないと聞いていますが、大丈夫なのですか?」

「はい。ゆっくりさせていただいてますので。お義母様、今日は折り入ってお願いがあって 参ったのです」

「あら、かしこまって、何の用でしょう」

「実は、清経様の縁談の件なのですが」

「清経の縁談?」

「はい、わたくしの時のように、どなたか候補の姫君がいらっしゃるのでしょうか?」

「いえ。そのような姫はいません。清経もまだ若いですし」

お義母様は桔梗のことを思い出したのだろうか。これ以上はあまり話したくないような感じだった。

が、わたくしは、かまわず話を続けることにした。

「では、わたくしの妹はどうでしょうか?」

「え?優様の妹?・・・そんな人、いたかしら」

「実は、今日、連れてきているんですお会いしていただけますか?」

「ええ、まあ・・・」

「さあ、こちらへ」

そう声をかけると、清経様と桔梗が入ってきた。

わたくしの装束を着せた桔梗は、本物の姫君のようだった。

「これは・・・いったい?」

お義母様のお顔が、ひきつっていた。桔梗は、思わず、平伏した。

「桔梗、面をあげなさい」

わたくしは、桔梗をたしなめた。卑屈になる必要などないのだから。

「優様、どういうことですの?」

「ですから、わたくしの妹を、清経様のお相手にと思ったのです」

「だって、この娘は桔梗ではありませんか・・・あっ。」

「そうですわ。お義母様も思い出しましたでしょ。桔梗は、 正式に藤原成親と京極局の養女になっているのです」

そう、今でこそ、わたくしの侍女として働いているが、かつては、宮仕えする為に わたくしの両親の養女、わたくしの

妹となったのである。

「これでも、身分違いでしょうか?」

「それは・・・」

「わたくしが、後見人になります。・・・財産なら、わたくしが嫁いだ時持参した荘園を 処分して調達してください。

全部でもかまいません。・・・もし、そのことで、わたくしが、 維盛様にふさわしくないのであれば、いつでも離縁して

くださってかまいません」

「優様。ちょっと、待って。自分が何を言ってるかわかってるの?」

「はい。維盛様は、わたくしではなく、初めから・・・良子様と一緒になるべきだったのですわ。 わたくしが、身をひいて、

それで維盛様が幸せになれるのなら・・・維盛様の幸せが 優子の幸せにございます」

「良子様って・・・それは、もう、とっくに終った事ではないですか」

「いえ、お義母様、今でも、維盛様は、良子様の許へ通われています。わたくしの今の願いは、 このお腹の吾子とふたり

ひっそりと生きていくことなのです」

わたくしは、全身の力がそのまま抜けていくようにその場に倒れかかった。

「姉上・・・」

清経様があわててそばへ寄り支えてくれた。

「優子様は、御懐妊されております・・・」

桔梗がわなわなと震えた声でお義母様に 告げるのを遠くに聞きながら、わたくしは、意識を失っていった・・・。

・・・目が覚めて一番初めに目に映ったのは、維盛様の心配そうにのぞきこんでる お顔だった。

両手で、わたくしの右手をしっかり握りしめていた。

どれくらいそうしていたのか、力をこめた手はあたたかく、汗ばんでいた。

「優子、気づいたか?」

「維盛様。・・・ここは?」

「北の対だよ。母上のところで、倒れたそうではないか」

「では、あのまま・・・ずっとついていてくださったのですか?」

「当たり前じゃないか、夫婦なんだから。・・・優子、子供のこと、なぜ、黙ってたんだ?」

わたくしは、それには答えなかった、答えたくなかった。

「清経様と、桔梗は?」

「清経は今日は宮中に参内しているよ。桔梗は、下がらせた」

「そうですか。お義母様は、お二人をお許しくださいましたでしょうか?」

「優子のことでそれどころではなかったからね。でも、たぶん、 大丈夫だろう。わたしからもなんとかするから、

心配しないように」

維盛様のお力があれば、おそらく大丈夫であろう。

「・・・わたくしも、覚悟ができております」

「えっ?」

「このお屋敷を出て、お腹の吾子とふたりで暮らしたいと思っています」

「何、ばかなこと言ってるんだい。さっきも母上から聞かされたけど」

「わたくしなど、最初から嫁ぐべきではなかったのです」

「優子は、わたしが嫌いになったのか?」

「それは、維盛様ではございませぬか。・・・良子様のこと、わたくし・・・」

ついに言ってしまった。どんなことがあっても、けして言うまいと思っていたのに。

「・・・では、新中納言君のこと、知っていたというのか?」

「はい」

「新中納言君は、母君を亡くされてね、ずいぶん悲しんでいられたそうだ。 宮仕えでもすれば元気が出るのではと、

女院様が御所へ引き取ったけど、 一向に元気を取り戻さないご様子で。祖母上に、おなぐさめするように頼まれたんだ。

縁談はもちろん、断っているよ。だけど・・・姫の方が、わたしを気に入って くれていて、今度ばかりはどうしても

断れなかった・・・」

一夫多妻という、はるか昔からあるしきたりを決めたのはいったい、 誰であろうか?

今更恨んだところでどうにもならない。 女達はみんな、しっかりと耐えてきたではないか。

「わかってます。誰もせめたりはしません。だから、身を退こうと思ったのです」

「優子がここを出て行くなら、わたしも一緒に出て行くよ」

「それは、いけません」

「だったら優子も、今後は、早まったことは考えないように。いいね、わたし達は 生涯共に生きていこうと誓い合った仲なの

だから」

維盛様の言葉にわたくしは、はらはらと涙がこぼれて止まらなかった。

「・・・我が平家の嫡男は祖父上にせよ、父上にせよ、わたしにせよ、幼少の頃に母と死に別れている。

何か不吉な予感が しないか」

新枕の夜に維盛様が言われた言葉が、時々よみがえっては、わたくしを不安にさせていた。

わたくしが、そばにいることで、いつかとんでもない禍を維盛様に及ぼしてしまうのでは という、得体の知れぬ漠然とした

不安があった。

だから、維盛様とお別れしようかと考えていたのである。

でも、わたくしは、維盛様をこんなにも愛してしまった。

この愛を振り切って、お側を離れるほど、今のわたくしは強くはなれなかった・・・。


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