胡蝶舞う

巻十四


同じ年の七夕の夜。天空では 彦星と織り姫が一年に一度の逢瀬を交わすという夜。
この星合の夜空をわたくしは右京様と女二人で眺めていた。
右京様に会うのは何年ぶりであろうか? わたくしが建春門院様の許から退出するのと前後するように右京様は中宮徳子様の許へ宮仕えに上がっていた。 芸術家である父母から受け継いだ才能と教養を宮中でも惜しみ無く発揮され、それでいてご自身は慎み深く 誰からも慕われる方である。中宮様はもちろん高倉の帝の信頼も厚い。
中宮職にある維盛様とも絶えず顔を 合わせているので、ご様子を伺うこともあったけど、実際お会いできたうれしさとなつかしさで、話は尽きなかった。
そして右京様の奏でる筝の音色は、今宵の星合の空を一段と情緒深く美しくしていた。以前にはなかった格調高く、そして 艶やかな音色は、宮中で備えられたものであろう。
「右京様、なんて素敵なんでしょう。さすが、宮中一の琴の名手」
「まあ、そのような。宮中には、琴の名手と仰がれる方がたくさんいらっしゃいますわ」
「いいえ、右京様が一番ですわ。さる御方も絶賛されていますもの」
「優様のさる御方とは維盛様でしょう」
「いいえ、資盛様ですわ」
「資盛様? あの方が?」
「何か思い当たることがおありなんですのね」
わたくしはいたずらっぽく右京様をのぞきこんだ。
「優様、およしになって、からかうのは」
右京様は、袂で顔を隠してしまわれた。そして、思い出したように
「一度、歌を頂いたのです」
とおっしゃった。
「歌を頂いたですって?」
「いえ、そうじゃなくて。ほら、今年の春、維盛様達がそろってお花見に行かれたでしょう。その時に美しい一枝の桜が中宮様に 贈られたのです。中宮様よりお礼の歌を 詠むように申し付けられてわたくしが詠んだのですが、その返しの歌が隆房様と資盛様から届いたのです」
「資盛様はどんな歌を詠まれたのでしょう」
「もろともにたづねてをみよ一枝の花にこころのげにもうつらば 」
「まあ、ずいぶん率直でまっすぐな歌ですこと」
「そこがあの方らしくて。・・・でも、それだけ。それっきりなのですよ」
そう微笑まれたその表情から、それっきりでないことは確かであろう。
翌日も、先日からこちらに戻ってきている六代と、幼い桃子も交え、楽しいひとときをすごしていた。
そこへ、まもなく、お義母様がこちらへおいでになるという報せが入った。
お義母様に続き軽く会釈をして入ってこられたのは噂のかの君、資盛様ご本人であった。
資盛様は右京様に気付いていないのだろうか?ややこわばった面持ちである。 右京様はと思いちらっと様子を伺うと、そっとうつむいていらっしゃった。
「資盛殿より大事な話があります」
とお義母様の言葉を合図にみな退く。
右京様も続いて下がろうとされた時
「右京殿もお聞きいただけますか?」
と資盛様がおっしゃった。 ちゃんと右京様に気づいていたらしい。今日の資盛様はなんだか凛々しい。右京様も黙ってうなづく。
その場には、お義母様、資盛様、右京様、そして、わたくしの傍らにちょこんと座る六代のみが残った。
「女院様が身罷られました」
資盛様の思ってもみない言葉にはっとした。
「本日、午の刻に崩御されました」
お義母様が続けておっしゃった。
「お悔やみ申し上げます」
右京様はそっと涙をぬぐわれた。
「お義母様、どういうことですの・・・」
「優様、女院様は6月頃より、悪性の腫瘍に悩まされていらっしゃったのです。いっこうに治る気配がなく、退出 なさりたいと願われていましたが、法皇様も清盛様もついに許されず。時子様も御所の方へ詰めていらっしゃいました。 その甲斐なく、まさかこのようなことになろうとは・・・」
女院様、享年35歳。女盛りの若くお美しいあの御方が腫瘍でお亡くなりになろうとは。 わたくしはなんと言ったらいいかわからず、あとからあとからあふれてくる涙を止める術もなかった。
六代が不思議そうに わたくしの顔をのぞきこんでいる。わたくしは、六代をぎゅっと抱きしめた。
「右京殿、あなたはご存知だったのでしょう」
資盛様が尋ねると
「はい。『帝がかわいそう』と中宮様が常々おっしゃるのが、わたくしには不憫でなりませんでした」
と右京様がお答えになった。
「知らなかったのはわたくしだけなのですね」
「内聞にされてましたから」
お義母様がおっしゃった。
確かに、内聞にするべきことではあるけれど、わたくしとて、平家嫡流の北の方である。まして、女院様は 昔お仕えして、お慕いしていた方。知らせてもらえなかったことが少し悲しくもあった。
「右京殿は、これから、内裏へ戻られるのですか?」
「はい、夕刻には戻りたいと思っておりました」
「では、わたしも参内しなければならないので、お供いたしましょう」
資盛様がにっこり笑われた。わたくしでさえ、はっとするほど素敵な笑顔だった。やはり、資盛様は右京様を・・・?
「いえ、そのような・・・」
右京様はとんでもないというように驚かれた。
恋すると女は変わると いうけれど、男も変わるのではないだろうか。わたくしは一歳年下のこの弟君を初めて男として意識していた。
右京様は資盛様より幾歳か年上ではあるけれど、お二人並ばれるとなかなかお似合いである。資盛様は見違えるようにたくましく なられたし、右京様も資盛様の前ではとてもしおらしい。 ふたりを応援したい気持ちになり、
「右京様、せっかくですもの、資盛様とご一緒されたらどうでしょう。わたくしも、その方が安心ですわ」
とすすめていた。
右京様はわたくしを見て、お義母様をご覧になる。お義母様も黙ってうなづかれた。
「資盛様、お願いいたします」
と、はにかむようにおっしゃる右京様の言葉を聞いて、わたくしは、ほんの少し気分が晴れていくのを感じていた。
その夜、わたくしは六代を同じ寝所に寝かせつけ、維盛様の帰りを待っていた。一日中、重盛様のお供で忙しくされていたようだけど 重盛様はもうとっくに帰ってこられたというのに、維盛様はいったいどちらにお寄りであろうか。
かつて 女院様にいただいた貝合せの番い(つがい)を手に、在りし日の女院様を偲んでいた。宮仕え当時は 気苦労も多く、わたくしの住む世界ではないと思っていたけれど、今、振り返るとあの華やかさがなつかしくもあった。
そして、夏の短夜も明けようという刻になって、ようやく維盛様が帰ってきた。部屋へ入るなり、わたくしをはげしく求めてこられた。
「六代が、目を覚ましますわ」
「かもうものか」
いつもの優しさは消えていて、荒荒しくわたくしを掻き抱く。維盛様には何か心を痛めていることがおありなのだと直感した。女院様の死の哀しみとはまた違うであろう 何かを。その痛みを和らげて差し上げたいと思い、わたくしも全身を維盛様に委ねていた。
すべてが終わっても維盛様はわたくしを 抱きしめて放そうとなさらない。
「優子、何があっても本当に愛しているのはあなただけだ」
わたくしは、黙って次の言葉を待った。
「新中納言君を・・・迎えることにしたよ」
維盛様は苦しそうにそうおっしゃった。わたくしは、平静を装おうとしたが、心とは裏腹に体がわなわなと震えてしまう。維盛様に 悟られまいと腕をほどこうとするが、維盛様にしっかりと抱きしめられてどうにもならない。
「優子、すまない」
「そうお思いなら、お願いです。その腕をお離しくださいませ」
わたくしは、なおも腕を解こうとするが維盛様もいっそう力をこめられる。
「女院様がお亡くなりになられて、法皇様もたいそう落胆されていらっしゃる。おなぐさめに新中納言君をという声があがっているのだよ。 もともと法皇様もかわいがっておられたからね。今までは女院様の手前、何もなかったけれど。清盛様も時子様も、すっかり 乗り気でいらっしゃる。乗り気でないのはご本人ただひとり」
「新中納言君・・・良子様」
「そうなんだ。尼になろうとまでなさったようだよ。乳母からそれだけは阻止したいと嘆願されては、ことわるにことわりきれなくなって しまった」
「わかりました」
わたくしは、そう答えるほかなかった。
「もちろん、わたしの北の方は優子だし、嫡男も六代だ。これは変らない」
そういうことではないけれど、それを言ったところでどうにもならないではないか。維盛様にも維盛様のお立場があるのだから。
わたくしと 維盛様が結ばれたように、良子様ともまた結ばれる運命にあるのだ。みとめるしかなかった。
女院様のあまりにも早すぎる死によって、何かが変ろうとしているのを漠然と感じていた。
その不安を打ち消したくて、 今度はわたくしから維盛様の愛を求めていった・・・。


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