
日本各地に伝わる平家落人伝説。
歴史上では、壇の浦海上で源平合戦し、平家は敗れ、多くの命が海に沈んでいったと されるが、
実際は、遠く都を離れた地で生き長らえたという言い伝えがあちらこちらで残っている。
戦列をいち早く離れ出家して那智の沖で入水したとされる維盛。
維盛が入水し、亡くなったことは、早い頃から都に報せが届いていた。
建礼門院右京大夫も維盛の死を悼み、維盛の弟で彼女の恋人である資盛の安否を気にしている。
そんな維盛にも、実は生きていたといった、さまざまな伝説が、日本各地に残っている。
平家といえば、西国のイメージが強いけれど、東国とも結びつきはある。
維盛は、頼朝追討の為、早い時期に東国へと出向いた。
戦いの場は、富士川である。
もっとも、「平家物語」によると、早朝の水鳥の羽ばたきに驚き、戦わずして逃げ戻ったと 伝えられ、
維盛にとって不名誉な出来事となった。富士川とえば、現在の静岡県中部よりやや東に位置する。
実は、私は、静岡県清水市出身で、富士川のそばにある高校に通っていた ので、
ここまで維盛が来たんだって思うとうれしくなった。
そして、富士川周辺に維盛の伝説や史跡が残っていないか調べたくなった。少し上流の静岡県富士郡芝川町という所に維盛伝説が残ることがわかった。
高校の頃の親友がこの町の出身で、彼女が町誌を調べてくれたのである。
以下、要約である。頼朝挙兵の報を福原で聞いた平清盛は、平維盛を総大将、忠度を副大将に命じ、 頼朝討伐の為、東国へと出発させた。頼朝は源氏出身の武田軍と合流し、 富士川をはさんで源平の対陣がはじまった。この地に詳しい武田軍が平氏の 背後に廻って攻撃をしかけようとひそかに浅瀬に入り渡りかけた。 川の水に体を浮かべて休んでいた水鳥はこの軍勢の物音に驚き、いっせいに飛び立った。 さらにこの水鳥の音に驚いたのが平氏である。遠く京からの道のりで疲れも重なり、 精神的衝撃を受け、敵襲と勘違いして逃走しはじめた。陣容を立て直すのは不可能で、 総退却せざるを得なかった。この時に、投降者は続出し、士気は著しく低下し、 これが以後の戦に大きく尾を引く事となった。この時、芝川町の稲子の里に多くの 兵が落ちのびた。平家窪、じがい沢、矢沢等の地名が残っている。
稲子に伝わる伝説として、維盛は入水せずに、富士川の合戦で多くの家来が逃れひそかに 住んでいた稲子にやってきて、自らも上稲子の地に逃れ住んだという。
西ケ谷戸に維盛を祭る墓が建てられ位牌もこの地に残されている。私自身、この芝川の伝説を信じているわけではないけれど、それでも伝説が残るということについては 興味がある。
維盛伝説の地を訪れる計画を立てていたのだけど、今年(2000年)の夏はちょっと、無理だったので、
近い将来、ぜひ、訪れてみたいと思う。
★ 富山県東砺波郡五箇山・・・源氏に敗れた維盛の軍勢が落ちのびた所★ 福井県足羽郡美山町赤谷・・・維盛が落ちのびてきた所
★ 三重県度会郡南島町・・・岸上家が維盛の子孫
★ 奈良県吉野郡十津川村五百瀬・・・維盛が落ちのびてきた所
★ 奈良県吉野郡野迫川村・・・維盛の里として残り、維盛資料館がある
★ 和歌山県日高郡龍神村・・・お万という愛人がいた
詳細は未確認です。情報、お待ちしております。
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