おわりに
最後に、もう一度右京大夫の生き方を振り返ってみたい。右京大夫は若かりし頃、建礼門院に仕え、
資盛と恋に落ちる。宮廷女房と公達の恋など、遊びの要素を持つごくありふれた恋なのに、一途な
右京大夫はこの身分違いの相手を本気で愛してしまう。そしてやがて、最愛の人は源氏に敗れて
戦死してしまう。その後、長い長い余生を、亡き恋人の追憶のうちに生きるのである。
右京大夫は、亡き人を嘆いてはみても、この戦いをにくんだり批判したりしなかった。時代に流され、
与えられた運命の中で必死に生きていく弱い女性であった。しかし、右京大夫は文学者として目覚めたとき、
弱いながらも自我をもつ一人の女性になりえたのである。
これらを考えたとき、私は書き残すという行為の意義深さに驚嘆する。昔の人々にとっては、現在の
世の中など想像に絶する社会であろう。そのような未知の人々に対して自分達の生きざまを伝えたいという
思いで物を書き、人々の共感を得られたものは、どんどん他人の手へと受け継がれていった。特に、
昭和の世界大戦のまっただなかを生きてきた若者達は、自分達を資盛や右京大夫にみたて、
広く読まれていたとされる。そうして、
現在に至る。時代は変貌しても、日本人の心はひとつなのかもしれない。
今の私にとっての右京大夫論は、ここにすべてを書き記したつもりであるが、これをもって完結では
ない。これからも、この作品は私自身の課題となるにちがいない。いつか、もう一度、
右京大夫を語ってみたい。
中略(了)
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