平氏人物辞典


ここでは、平氏一族をごく簡潔に説明しています。

「文献より」に★リンクがついているものは、「建礼門院右京大夫集」の文章をのせてあります。

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名 前 ふりがな 生年 没年 説        明 文献より
敦盛 あつもり 1169 1184 清盛の弟の経盛の子。一の谷合戦で敗走する途中、斬られる。
17才の美少年で、笛の名手であったため、敵の熊谷直実も
斬るのをためらったほど。平家物語の敦盛の最期は有名。
 
清経 きよつね 1163 1183 重盛三男。美濃で源行家を破ったときの大将のひとり。
都落ち するが途中世を悲観して入水。
 
清盛 きよもり 1118 1181 忠盛の長男。保元、平治の乱の活躍によって、太政大臣に上り
つめる。娘を入内させ、天皇の外戚となり、 平家の全盛期を
もたらすが、後白河法皇と次第に対立するようになる。反平家が
高まる中、病死する。父は白河上皇ともいわれる。母は不明。
 
維盛 これもり 1158 1184 重盛の長男。その美しさは光源氏のようで笛の名手であったが、
歌は苦手だったという。重盛の死後は嫡流の子として、源氏
征討の大将とされるが、富士川で戦わずして逃げ帰り清盛の怒り
をかう。源平合戦の途中、世をはかなみ、出家してまもなく入水。
滋子 しげこ 1142 1176 平時信次女、清盛の妻時子の妹。女房時代、後白河上皇に
見初められ入内、高倉天皇を産む。建春門院の院号を与えられ
る。女院の死後、後白河上皇と清盛の仲はますます険悪になる。
 
重衡 しげひら 1156 1185 清盛の五男。反平氏が高まると源頼政を宇治で破り、また、
東大寺や興福寺も攻め焼いた。一の谷の合戦では生け捕りにされ
その後殺される。
 
重盛 しげもり 1138 1179 清盛の長男(母は、正妻平時子ではない)小松谷に屋敷があった
ことから小松殿とよばれる。清盛と共に保元、平治の乱で活躍し、
内大臣に進む。非常に温厚であったが、若くして病死したことが、
悔やまれる。
 
資盛 すけもり 1161 1185 重盛次男。少年の頃、鷹狩の帰りに関白の行列と衝突し、重盛
(平家物語では清盛)が報復するという「天下乗合事件」を起こす。
筝や歌にも優れ、中宮徳子に仕えた右京大夫との恋の物語を
「建礼門院右京大夫集」で知ることができる。壇の浦で、一門と
共 に入水する。
 
忠度 ただのり 1144 1184 清盛の弟。歌人。都落ちの際、途中で引き返して、歌の師 である
藤原俊成邸を訪れ、勅撰集編纂の折は一首でも載せて 欲しいと
願う。平家物語の忠度の都落ちは有名。
 
忠盛 ただもり 1096 1153 正盛長男、清盛の父。白河、鳥羽上皇の信任厚く、平家で初めて
昇殿を許され平家繁栄の基礎を築く。貴族からはすがめと馬鹿に
された話が平家巻頭を飾る。
 
経正 つねまさ 1184
経盛の子、敦盛の兄。和歌も勅撰集に入集し、琵琶の名手でも ある。
一の谷の合戦で討死。
 
時子 ときこ 1185 ニ位殿、二位の尼。清盛の妻。宗盛、知盛、重衡、徳子の母。
清盛が出家した際、出家する。平家の都落ちに同行し、壇の浦 で、
安徳天皇を抱いて入水。
 
時忠 ときただ 1130 1189 時子、滋子の兄。何度か流罪となるが、滋子が後白河天皇の
女御となると、外戚として、また清盛の側近として権勢をふるった。
都落ちし、壇の浦で捕虜となり、能登の国に流されて死んだ。
「平氏にあらざらむ人は人にあらず」は有名。
 
徳子 とくこ 1155 1213 清盛次女。高倉天皇の中宮、安徳天皇を産む。都落ちに同行し、
壇の浦で安徳天皇を追って入水するが、源氏に助けられ、京に
戻る。剃髪し、平家を弔い余生を大原寂光院で送る。平家物語の
灌頂巻に詳しい
 
知盛 とももり 1151 1185 清盛四男。源頼政を宇治に破る。都落ち後は、智謀の武将として
活躍するが、壇の浦で敗戦を悟ると、一族の死を見届け、
「見るべきほどのことは見つ」と入水する
 
教経 のりつね 1160 1185 清盛弟教盛の子。能登守から能登殿と呼ばれる。平家きっての
剛勇。壇の浦で、一度は義経の舟にたどりつくが、逃げられると
覚悟を決め入水する。平家物語の能登殿最期に詳しい。
 
教盛 のりもり 1128 1185 清盛の弟。門脇殿と呼ばれる。保元、平治の乱で活躍し
正二位大納言まですすんだが、都落ちし、壇の浦で入水。
 
正盛 まさもり 清盛の祖父、伊勢平氏興隆の基礎を築く。
海賊や僧兵の抑圧に活躍し、白河上皇の寵を得るがまだ
昇殿を許されていなかった。
 
通盛 みちもり 1184 清盛弟、教盛の長男。一の谷の合戦で、源義経の鵯越えにて
敗れ討死する。小宰相との恋が有名で、身ごもった小宰相も
後を追って入水する。平家物語小宰相身投げに詳しい。
 
宗盛 むねもり 1147 1185 清盛三男。(時子の第一子)八島の大臣と呼ばれる。清盛、
重盛死後、一門の指揮をとる立場になる。都落ちし、壇の浦では
入水するも生け捕りにされ、鎌倉へ送られた後、斬られ獄門に。
 
頼盛 よりもり 1131 1186 清盛異母弟。母池禅尼が少年の頃の源頼朝の命乞いをしたこと
から、都落ちでは一門につかずに、京にとどまり、頼朝の庇護を
受けたが、平家滅亡後は出家した。
 


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