わたしがまだ、中学生か高校生の頃のことです。 自転車に乗ってどこかへ出かける途中でした。 信号待ちをしていると、小学1年生位の男の子がそばに立っていました。 男の子は目が合うとにっこり笑ってくれました。 あまりにかわいらしくて、わたしもつられて笑いかけました。 そうしたら、男の子が「これ、あげる」って言って手を差し出したのです。 わたしも、思わず手を出すと、少し土がついた、小さなまぁるいものが わたしの手のひらにありました。 「ゆびわだよ」 って男の子が笑っていました。 そう、わたしが、土を落としてボタンだってわかる前に、男の子がそう言ったのです。 「あげるね」 って、男の子は言いました。 「これ、ボタンなんだよ。」 と、ゆびわをふきながら言うと、 「ボタン?」 と、男の子は首をかしげました。 わたしは、はっとしました。 なんだか、男の子が悲しそうにみえたからです。 もう一度、ボタンを見てみると、ほんとうにゆびわに思えてきました。 「ごめんね、ゆびわだね」 って、言って顔をあげると、もう男の子はどこにもいませんでした。。。
・・・あの男の子は、今ごろ、どこで何をしているのでしょう。
どんな青年に成長したのかしら?
きっと少年の頃の、やさしい笑顔と澄んだ心を持ったままだと思います。
そして、今では女の子に、どんな指輪をプレゼントしているのかしら?
・・・わたしは、今でも、”ゆびわ”大切に持っています。
指に はめることはできないけど、わたしにとって一番ステキな指輪なんです。
高校2年のときの甲子園の開会式の選手宣誓は忘れられません。
「若人の夢を炎と燃やし力強くたくましく甲子園から大いなる未来に向かって正々堂々戦い抜くことを誓います」
そういう言葉でした。
彼らは、甲子園という夢に向かって、好きなことを多少犠牲にしながら暑い日も寒い日も練習、練習を
重ねてきました。
強い高校はもちろん、弱い高校だって夢はやっぱり甲子園なんです。
そして、その夢がかなっても、甘んじることなくもう、次の夢に向かって進んでいるのです。
すこしずつ折りはじめた鶴が千羽になったころ、夏の県大会がはじまりました。
ずっと応援してきた ”彼ら”にとっては最後の夏。そしてわたしにとっても、最後の夏・・・。
1回戦、相手は普通の高校です。わたしは、試合がはじまると夢中になって応援していました。
が、回が進むにつれて、なんだか、とてもこわくなりました。
勝っても、負けても、その先にあるのは、”終わり”です。
もう、校庭で甲子園を追いかける ”彼ら”を見ることはないのです。
寒い冬の日、薄暗い海辺をひたすら走る ”彼”はいないのです。
少しでも長くユニフォーム姿を見ていたくて、声をかぎりに応援しましたが、その日、
”彼ら”の夏は終わり、私の夏も終わりました。
あまりにも短い夏でした。
その帰り、なんとなく校庭に行きました。夕暮れのグランドは、静まり返っていました。
今まで一度も立ったことのなかったマウンドに立ってみました。砂を手ですくってみると、
あつかったんです。わたしは、はっとしました。真夏の太陽が照りつけるから砂はあつくて
当たり前・・・でも、わたしには ”彼ら”が一生懸命燃えていたから、グランドもあつく燃えて
いたんだって思えたのです。
「グランドでの完全燃焼こそが青春の証であると信じます」と言い切った、県大会の
選手宣誓がいつまでも心の中でリフレーンされていました。。。
何年かたって、甲子園に出場したという人に出会い、甲子園の砂をわけてもらいました。
でも、わたしにとっての本物の甲子園の砂は、校庭の砂なのです。
なぜなら甲子園とは、球場の固有名詞ではなく、高校野球の代名詞なのですから・・・・

本物の虹を見たのも高校生の頃でした。
高校3年のとき、開校5年目を迎え、第一回文化祭が行われました。わたしは、そのとき文芸部の
部長でした。文芸部は、開校と同時にできましたが部員0人という幽霊部で、わたしの意地で復活した
ようなもので、文芸部を復活させたときの部員は、3人だけだったんです。3年生になったときは
1年も数名入ってきましたが、もっともっと部員を増やさないと、また幽霊部、果ては廃部になりかねない
ので文化祭を成功させようと思いました。また、生徒会は生徒会で、第一回目ということでかなり前から
準備してきました。(わたしも、前年、生徒会の文化委員長だったので、多少携わっておりました。)
お祭り気分どころではなかったです。文芸部では『伊勢物語』についての研究を主に発表しました。いろいろな
励ましや評価を得られ、賞をいただくことができました。また、文化祭自体も大きな問題もなく無事行うことができました。
ただ、雨のため、外部の人々の訪れが少なかったのが残念でしたが。
片づけが終わり、ふと、窓から外を見ると、雨上がりの空に虹がかかっているではありませんか。
それも、大きな大きな虹で、きれいな半円を描いた立派な虹でした。もともと、うちの高校は、
富士山と海と富士川の河川敷きが一望できるという恵まれた場所にあります。
とても、すがすがしい気持ちでその絶景にしばしみとれていました。。。
東京に来てから、空を見ることがなくなってしまいました。
それとも、空を見る心を失ってしまったのでしょうか・・・
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