数多くある日本の古典の中で何が一番好きかと聞かれたら、私はためらうことなく、 「建礼門院右京大夫集」と答える。これは、平安末期の平家全盛時代に、建礼門院という 女御につかえた 右京大夫という女性の和歌集である。右京大夫が 生涯においてもっとも愛した平資盛 (たいらのすけもり)を壇の浦の源平の戦いで失った悲しみと、資盛へのさめやらぬ夢を中心に 歌日記風に綴られている。彼女は、紫式部や清少納言、和泉式部などの平安王朝全盛期の女流歌人ほど 有名ではないけれど、私は、誰よりも もののあわれを解することができ、もっとも深く人を愛することを知っていた女性だと思う。 平安末期に生きた彼女は、すでに過去となっていた平安王朝全盛期に淡い憧れをもち、自らも どの公家の家よりも ときめく武家の平氏の貴公子、資盛と恋に落ちる。しかし、時代が変動しつつあり、やがて、 いくさという武士の家の宿命に、まきこまれていく。 死への恐怖と悲しみに追いつめられることによって、彼女の資盛への愛は永遠なものになりえた。
昔の女性の常であったように彼女の本名も生年月日も明らかでない。もし、この歌集がなかたら、彼女の生き方を 知ることはなかったであろう。ごくわずかな資料から、建礼門院につかえた宮廷女房のひとりに、ちょっとした 歌人がいたという事実しかわからないのである。
さらに彼女は資盛の正妻ではなかった。資盛は ときめく平清盛の孫であり、彼女は宮廷女房にすぎず、この恋は 身分違いであった。それゆえ、彼女は いつもこの恋を秘めたるものとし、さまざまに思いなやむこととなるのだが、 この家集があるがために、文学史上において、恋人同士として、正妻以上の立場をみとめられているのである。そう、それが 彼女の願いでは なかったかと私は思う。
われならで たれかあはれと 水茎の 跡もし末の 世に伝はらば ・・・・と、序文において、この家集が自分の ためだけにつくられたものだと宣言しているが、その奥には、資盛へのさめやらぬ夢を、 永遠に生かしつづけたいと願う、切実な気持ちがひしひしと感じられる。その気持ちにうたれ、私は、この家集の研究を、大学の卒論のテーマにとりあげた。 まだまだ、研究の方は未完成なので、これからも、自分なりに、彼女の生き方を探ってみたいと思っている。 インターネットという手段を通して、少しでも、彼女の生き方を知ってもらえたらいいなと思い、 ここに「私見、建礼門院右京大夫集」をまとめてみることにした。。。
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