新幹線
ホームに着いた柚子は、そのまま開いてるドアに駆け込んだ。
と、同時にドアが閉まった。
「ハアー、間に合ったぁー」
柚子は、息をきらしながら、小さくつぶやいた。
改札口から、いや、もっと前から人をかきわけるようにして走ってきたのだ。
落ち着くと、柚子は、とりあえず、前の車両へと進みはじめた。
自由席の方へさしかかったとき、ボーっと窓の外を眺めている人がいた。
柚子は、ほっとした。柚子が追いかけてきた、高林佳樹その人だったのだ。同じ大学の、
テニスサークルの2歳先輩である。
サークルの中にいるときの佳樹は、いつも、柚子のそばにいた。
ダブルスのミックスでも、必ず、佳樹が柚子を誘っていた。サークル内でも佳樹はうまい方だった
から、一緒に組みたがる女の子は多かったのに、ほとんど初心者の柚子がいつも選ばれていた。
いつのまにか、サークル内では、公認のカップルのように扱われていたけど、サークルを離れれば、
佳樹とは、ほとんど会わなかった。
「佳樹先輩」
「えっ、あっ、柚子ちゃん、・・・どしたの?」
佳樹は、ほんとに、驚いたらしく、柚子をまじまじと見た。
柚子も、声をかけたはいいが、何を言えばいいかわからなかった。
なぜ、追いかけてきたのだろう・・・そんなこと考える暇もないくらい、
夢中で走った。今、行かないと、もう会えないかもしれない・・・
そのことだけが、柚子を走らせた。そして、こうして、佳樹に会えたのに、
言うべき言葉がみつからない。
「えっと、よこ、はま。そう、横浜まで、ちょっと」
「横浜って、新横浜?」
「そう、そう、新横浜。」
「何しに?」
「何って・・・用があるからよ。」
「わざわざ新幹線でねぇ。」
「悪い?」
柚子は、ちょっとむきになった。佳樹の前だと、どうしても、子供っぽくなってしまう。
「いや。めずらしいね」
「先輩こそ、京都帰っちゃうの?」
「まあね」
そのとき、前の車両の方から「乗車券を拝見いたします」という車掌の声が聞こえてきた。
「あ、どうしよう、あたし、入場券」
柚子は、コートのポケットから切符を取り出した。急いで買った切符だった。お釣も、全部持ってこれなかった
ほど、急いで買った切符。
佳樹は、柚子から、切符を取り上げた。
「ほんとは、新幹線乗るつもりなんてなかったから」
柚子は、しょぼんとうつむいた。
「こっち持ってな」
佳樹は、切符を柚子に手渡した。柚子は、切符を見ると、京都行きの乗車券と特急券だった。
「これ、先輩の」
「いいから、持ってろよ。黙ってろ、な。」
そうしているうちに、車掌が来た。
「急に京都行くことになって、買う時間がなかったんです。申し訳ありません。」
佳樹は、入場券を渡しながら丁寧に言った。
車掌は、じろって佳樹を見たが、
「で、京都まででいいの?」
と聞いた。
「はい、京都まで」
「あの・・・」
柚子が、言いかけるのを目で制し、佳樹は、京都行きの切符をあっさり買ってしまった。
車掌が次の車両へ行くのを確認すると、佳樹はようやくにっこりと笑った。
「ごめんなさい、あたし。こんなつもりじゃ・・・・・・」
柚子は、すっかり恐縮して謝った。
「いいんだって。でけぇ、土産だな」
佳樹は、おかしそうにひとりで笑った。
「えっ?」
「うそうそ。・・・・・・たまには、京都もいいだろ?」
「今から京都行ったら、日帰りできない」
「明日、バイト?」
「休み。」
「じゃ、決まり。」
「そうじゃなくって・・・」
柚子は、むきになって言った。
「他に用でも?・・・泊まるとこだったら、なんとかなるさ」
「なんとかって?」
「京都は日本一の観光地なんだぜ、泊まるとこなんていくらだって。」
「あたし、そんなに、お金持ってない」
「大丈夫。それくらい俺が。・・・なにより、柚子ちゃんの気持ち、うれしいんだ」
佳樹は、少し照れながら言った。
「えっ」
「いや、それより、どっか、座ろうか」
佳樹は、前の車両に歩き始めた。柚子もあわててあとに続いた。
席に座って落ち着くと、柚子は、さっきからどうしても気になることがあって、思いきって佳樹に聞いてみようと思った。
「先輩、誰かを待ってたんですね」
「えっ。まあね。」
佳樹は、はっとしたようだったが、あっさり認めた。
「杏子さんでしょ」
「ああ。杏子のやつ、自分で乗る電車決めておいたくせに来ないんだから」
「なぜ、降りて待ってなかったんですか?」
「降りて?」
意外そうな質問に、柚子の方が、ちょっと驚いた。
「だって、遅刻かも」
「そうだね。他の人だったら、乗らずに待ってるよね。でも、相手が杏子だから」
「どういう意味ですか?」
柚子は不思議そうに言った。
「杏子は、約束の10分前にはもう待ち合わせ場所に来てるんだ」
「そうなんですか。時間に正確なんですね」
「正確っていうかなんていうか。待ち合わせ時間が来てもいない時はすっぽかしってことなんだ」
佳樹は、ほんの少し苦笑まじりだった。
「つまり杏子と待ち合わせは約束時間の10分前から約束時間まで待ってて来なければあとはいくら待っても来ないってこと。まあ、あいつを待たせるのは悪いから、俺が約束時間の15分前に行って待ってて、時間になっても来なければあきらめるってこと。」
「はぁ・・・」
「杏子らしいだろ。白か黒かってとこ」
なんだか、めちゃくちゃだけど、確かに、杏子らしい。
カメラマン志望だけあって、センスも抜群で洗練された美人タイプの杏子に
柚子も憧れていた。
杏子も、柚子と佳樹と同じ大学だった。
佳樹とは、幼なじみで、高校を出ると、一緒に上京してきたという。柚子は入学した当初から、
ふたりが一緒にいるところを見かけていたので、ふたりは恋人なんだと思っていた。
でも、恋人というわけではないらしい。どちらかというと、佳樹の方が、杏子を好きなように思えた。
他に彼女もいないようだし。柚子は、この2年間、佳樹をみつめることしかできなかった。
影に杏子の存在をいつでも、感じていたから。いや、みつめていたから、
感じていたのだろうか・・・。
「もし、先輩が遅れたら、杏子さんは待っていたんですか?」
「どうだろ、そんなこと考えもしなかった」
佳樹は、自嘲気味に言った。杏子と佳樹の間では、いつだって、杏子の立場が優位だった。
そうしむけていたのは、佳樹本人だった。佳樹は、杏子のすることを、何だって許していたのだった。
柚子は、ちょっと、いじわるな質問だったかなって、聞いたことを後悔していた。
「ってことは、杏子に聞いたんだろ?俺がこの新幹線に乗るって」
「ええ。神社の所で杏子さんに会ったの。先輩が京都に帰っちゃうからって、新幹線の時刻教えてくれて。
まだ、急げば間に合うからって。あたし、思わず・・・」
「ちょっとまった。確かに、京都に帰るけど、これっきりってわけじゃないんだから。また、
すぐ戻るって」
「えっ」
「だって、卒業式もまだなんだぜ。今から帰ってどうするって」
「・・・そうでしたね。卒業式は再来週・・・」
柚子は、全身から力が抜けるような気がした。
「やだ。あたしったら、ひとりで勘違いしてバカみたい。」
大学卒業したら、いなかに帰るのはわかっていたから、今日が、その時だと思い、
慌てて追いかけて来たのだ。
そう、ずっと暖めてきた言葉を、言いそびれていて、
どうしても言わなきゃいけない一言を、言いたくて、ここにいる・・・。
「杏子のヤツ・・・」
「えっ?」
「イヤ、なんでもない。」
佳樹は、ひとりで、何かを納得していた。
「京都には、何の用事で?」
「暁彦のこと、話したよね?」
「ええ」
「明日があいつの命日なんだ。お墓参りに、杏子を連れて行くつもりだった」
暁彦は佳樹の幼稚園の頃からの親友で、杏子の彼氏だった。大学は違ったけど、
3人で、上京してきたのだ。2年前にスキー場で事故死していた。柚子が入学する前のことだ。
そのとき、
「まもなく、新横浜、新横浜」
という車内アナウンスが客席にひびく。
と、同時に、柚子の左手を、佳樹の右手が握り締めた。
柚子は、一瞬、びくっとした。
「どうする?降りてもいいんだよ」
柚子は、そっと佳樹を見た。
「好きだよ」
ふいに、柚子の耳元で佳樹がささやいた。たった一言がまっすぐに柚子の胸につきささる。
その言葉は、柚子がずっと心に暖めてきた言葉と同じだったから。
ここで、降りれば、佳樹の気持ちを拒否したことになる。ここで降りなければ、佳樹への想いを認めたことになる。
「新横浜、新横浜」
車内アナウンスとともに、降りる人、乗る人の出入りでちょっとあわただしくなる。
柚子は、うつむいたまま、つながれたままの佳樹の手を力強く握り締めた。
佳樹もさらに力強く握り返す。
ふたりは、ドアが締まるのを待った。なんだかとても長く感じられた。
そして、新幹線は再び走り出した。
「もう、京都まで迷わないね」
佳樹が柚子をのぞきこむようにいった。
柚子は、うなづく。そして、佳樹の耳元で
「好き」
と、確かな一言でこたえていた。
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