春なのに 7時14分。
彩子は、ホームに入ってきた電車に乗り込んだ。もう、3年も前から、毎日 、この時間、この電車に乗りつづけてきた。学校が休みの日を除いて・・・。 彩子は向かい側の2人掛けの空いている席に座った。一番最後に乗り込んできた 学生と目が合うと、一瞬、はっとした。同じ学校の沢野翼郎であった。
「よお、おはよ」
翼郎は当然のように、彩子の隣りに座った。
「おはよ」
彩子も、あわてて返事をした。 彩子は、「やっぱり制服クリーニングに出してよかったな」とぼんやりと思っていた。 どうせ卒業式なんだからという母の言葉を押しきって、強引にクリーニングに持っていったのである。 高校卒業したらもう、制服なんて着る機会がないかもしれないから、最後は きれいに決めたかった。
「あれ、今日は3年は10時までに登校すればいいんだろ。ずいぶん、早いな。」
「翼郎君だって」
「卒業式のリハーサル」
「え、何かするの?」
「ああ、野球部が表彰されるんだって。校長から特別ね。」
「あの校長って野球好きだもんね」
「今年定年だろ、最後の年に、初めて甲子園出れたんで、ひとりで盛りあがっちゃってさ」
翼郎は苦笑した。が、実際、初出場に学校中が沸いた。3年生は受験勉強優先だったが、彩子は 甲子園まで応援にかけつけた。甲子園では、1回戦負けだけど、甲子園に出れたことだけで、十分 満足していた。
「まもなく・・・」
次の駅に到着を告げるアナウンスが流れた。
「咲子ちゃん、乗ってくる?」
「いや。」
「そう。」
彩子は、内心、ほっとしていた。今日は翼郎を独占していられる。
電車通学をしているほとんどの生徒が次の駅を利用している。 前の駅から乗っているのは、彩子と翼郎の中学出身者だけである。 このたった一駅の区間が、彩子にとって、大切な瞬間だった。 誰にも遠慮することなく、まっすぐに翼郎を見ていられる。 たわいがないおしゃべりで、素直に笑っていられる。 次の駅につくと、彩子の友達も多く乗ってくるし、翼郎も、野球部員たちに 囲まれる。
そして、去年の夏の終りから、翼郎の近くには、咲子の姿が必ず見られるようになっていた。 けして、二人一緒にいるわけではないけど、他の人にはわからない空気が、二人の間には流れているようだった。 しかし、中学の頃からずっと翼郎を見てきた彩子は、ふたりの気持ちを見破ってしまっていた。 だが、相手が咲子だと思うと、彩子も嫉妬する気にはなれなかった。 咲子は一度会ったら忘れられないような女の子で、 同じクラスにはなったことはないけど、何かの機会で話をしてから、それからけっこう仲良くなってしまった。 女の自分からみても、咲子はかわいくて、自分には勝ち目はないと思った。自分が何年も思い続けてかなわなかった夢を、 いとも簡単に手に入れてしまったのだから。
「・・・ん?あやちゃん?」
翼郎は、彩子の顔をのぞきこんだ。
「はい。あ、なんだっけ?」
彩子は、はっと我に返った。
「だからぁ、あやちゃんは、なんで、早いかって聞いたんだ」
「あたし? あたしも、リハーサルだよ」
「あやちゃんも?何しでかした?」
翼郎は、笑いながら言った。
「皆勤賞」
「へ?」
「今時、皆勤賞で表彰なんて、みっともないよね。」
「すごいじゃん」
「はっずかし。健康優良児ですって宣言してるみたい。」
「なんか、らしくないね」
「学校は、確かに行ってたのよ。でも、保健室のベッド利用者のベストテンにまちがいなく 入るって先生に、笑われちゃった」
彩子は少しくらいの体調不良でも学校へ行った。そのかわり、 具合が悪いときは、保健室に行って、休んでいたのである。学校は、欠席、遅刻、早退が なければ、皆勤になるのである。
「あやちゃん、中学の頃は、体弱かっただろ?ほら、よく、ノート写させてあげたじゃん」
中学に入学したばかりの頃、彩子はちょっと体調を崩して、学校を休みがちであった。その時に、 隣の席だった翼郎に、いろいろお世話になったのである。
「覚えてくれてたんだ。・・・あたし、中学に入学した頃、学校休んでばかりだったから。 友達とかなかなかできなくて、さびしかったの。休むと自分だけ仲間外れになったような気がして。 だから、高校はなるべく休まないようにしてきたから。いつのまにか、皆勤賞」
それだけではなかった。いつのまにか、「学校に行けば翼郎に会える」その気持ちが学校へと向かう支えに なっていた。学校を休んでしまえば、まったく会えないけど、頑張って、学校に行けば 翼郎の元気な姿を見れるかもしれない。
翼郎のことを好きだって感じたのは、中学1年の冬のことだった。クラス対抗の球技大会で、 男子はサッカー女子はバレーが行われた。彩子は、バレーのサーブが大の苦手だった。どうしても、 うまく入らない。最初は「ドンマイ、ドンマイ」と声かけてくれるが、失敗ばかり続くので、 彩子の番がくると、妙にしらけた雰囲気になってしまう。そうするとちゃんと入れなきゃというプレッシャーで よけいはずしてしまう。サーブがきまらないのでは、試合にならない。学校の近所に住んでた彩子は、 犬の散歩と称して、夜、グランドに行って、ひとりで練習していた。そこで、毎日のようにマラソンしていた 翼郎と出会った。翼郎は、彩子の練習に、つきあってくれた。そのおかげで、球技大会では、 ちょっぴり自信が持てて、サーブもなんとかきまるようになった。そして、男子のサッカーの応援を しているとき、翼郎ばかり目で追っている自分の気持ちにようやく気がついた。 実際、スポーツ万能の翼郎は目立っていた。サッカー部はフル出場できないという暗黙のルールがあったので、 かえって、野球部の翼郎が活躍できたのである。
中学1年の頃は、クラスメートとして、翼郎にはずいぶん助けられたような気がする。でも、 2年でクラス替えで別々のクラスになり、それからは、翼郎とは自然と疎遠になっていくが、 逆に、彩子の思いは募る一方だった。そして、高校も偶然同じ高校に 進学が決まり、彩子の片思いは、高校になっても続いたのである。そして、彩子は気持ちを伝えられないまま、 翼郎に彼女ができてしまった。それでも彩子は翼郎のことが好きで、遠くから見ているしかなかったのである。
彩子の5年間の片思いが、皆勤賞になったのである。そう思うと、彩子は皆勤賞なんて、 ちっともうれしくはなかった・・・
「じゃ、俺、ちゃりんこあるから」
そう言いながら、翼郎は電車を降りていった。
学校はちょうど、駅と駅の間にあり、もう一つ先の方が 若干近くてバスも通ってるので、ほとんどの生徒がもう一つ先の駅を 利用している。が、運動部の生徒に限って駅から学校まで自転車 通学が認められていて、駅前駐輪場の関係で、手前の駅を利用しているのである。 。
ちょうど、急行電車の待ち合わせで、電車は数分止まることになっている。 彩子は、思わず電車を降りて、翼郎のあとを追いかけた。
「翼郎くん。」
びっくりしたように、翼郎は振り返った。
「ボタン」
「え?」
翼郎は反射的に学ランのボタンに目をやった。
ボタンがとれていると思ったらしい。
「あ、そうじゃなくって。ボタン・・・もらえないかなって思って」
「は?」
「あの・・・卒業だから」
翼郎は、けげんそうに彩子を見た。
「中学の時にね、もらいそびれちゃったの。同じ高校だから、 このままでいいって思った。でも、今度こそ、本当に卒業しなきゃ・・・」
「ごめん、あやちゃん、俺・・・何も知らなかった」
鈍感な翼郎もさすがに、彩子の気持ちに気づいたらしい。
「いいの。友達でいられたから。」
彩子は、言葉が涙にかわらないよう、精一杯、笑ってみせた。
翼郎は、ボタンをとろうとした。
「あ、待って。それは、第2ボタン。咲子ちゃんのだから。 あたしは、3番目でいい」
翼郎は言われたまま3番目のボタンをとって、彩子に渡した。
その時、電車の発車をつげるベルが鳴った。 彩子は、慌てて、近くのドアに飛び乗った。
「ありがと。じゃ、卒業式、がんばろうね」
「あやちゃん、・・・」
翼郎が何かを言いかけた時、ドアが静かにしまった。 彩子は、とびきりの笑顔で、ボタンを握ったままの手を小さく振った。 翼郎の姿が見えなくなるまで振っていた。
そして、 手のひらをそっと開いた時、一粒の涙が、ボタンの上にポツンとこぼれ落ちた。
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