墓前で 恋人の柚子を車に残し、佳樹は、ひとり暁彦の墓前へと向かった。
一緒に連れて行ってもかまわないのだが、暁彦と1対1で向き合いたかったので、 ひとりで行くことにした。
暁彦と佳樹はいわゆる竹馬の友、幼稚園から高校までずっと一緒だった 親友である。大学こそ違ったものの、一緒に東京の大学へ出てきてからも、 ずっと、仲がよかった。 冬休みをスキー場でバイトしようと誘ったのも、暁彦である。 まさか、その雪山で、暁彦が遭難し、帰らぬ人となろうとは・・・。もう、2年も前のことである。
だから、ほんとうに、ここに杏子が来てるとは思わなかったのである。黒のワンピースは 喪服のつもりだろうか。いつもジーンズ姿の杏子を、妙に色っぽく見せていた。
「杏子、おまえ・・・」
墓石の後ろにまわって、何かしている杏子は、一瞬はっとしたようだ。が、杏子には、佳樹が 来る事はわかっていたのである。目が合うと、にっこり笑って見せた。杏子のおだやかなやわらかい笑顔は、何年ぶりだろうか。
「そんなところで、何してんだ?」
佳樹は、杏子の手元をのぞきこむ。何か埋めているようだ。
「説明はあとあと。それより、早く、お参りしてあげて。暁彦が待ってるでしょ」
杏子は、そういって、墓石のそばから、離れる。
佳樹は言われたまま、墓前にお参りした。
お参りがすんで、ふりむくと、杏子が向かい側の石段に座っている。佳樹も、隣に腰掛けながら、
「てっきり、来ないと思った」
と言った。
「今日が、あたしにとって、暁彦のお葬式だから」
佳樹はちらっと、杏子の喪服姿に目をやる。
「あの時は、ごめんな。連絡しなくて」
「いいのよ。暁彦も、きっと、来るなって言ったから」
杏子も、ふたりとは、幼稚園からずっと一緒の仲だった。佳樹とは実に、大学まで同じ、そして、 暁彦とは、いつからか、恋人になっていた。
杏子は、暁彦の葬式には参列しなかった。佳樹は、暁彦が死んだとき、ニューヨークに行っていた杏子には、 いっさい知らせなかったのである。 大学行きながら、カメラマンに なりたいっていう自分の夢に向かって、一生懸命だった杏子。新進女流カメラマンに気に入られて 一緒に 渡米中だったので、知らせることはやめたのだ。知らせれば戻ってくるに違いない。 せっかくのチャンスを無駄にさせることは、佳樹にはできなかった。
そして、何も知らずに帰国した杏子。佳樹は、空港に迎えに行き、すべてを打ち明けた。杏子は、ショックのあまり 半狂乱になった。
「知らせて欲しかった。すべて知った上で、帰るか帰らないか、自分で決めたかった。」
そう泣きじゃくる 杏子を見て、佳樹は、後悔していた。杏子のためを思ってやったことが、結局、杏子を傷つけるだけだったのだ。 自分の思い上がりだったと思った。他人が侵してはいけない領域に、佳樹は踏む込んでしまったような気がした。
どんなに悔やんでも、もう、杏子はもとの杏子ではなかった。杏子の心に残ってしまったものは 「大学生の男女、スキー場で妊娠を苦に無理心中」という週刊誌のゴシップだった。その記事がでたらめで あることを、どんなに説明しても、杏子は理解しようとしなかった。 誰かを憎むこともできず、杏子は、意味もなく荒れていた。あんなに強かった杏子が、 どんどん崩れていくように思えた。杏子が輝いて見えたのは、暁彦がそばにいたからだったのだ。 そのことが、暁彦の死をもって、ようやくわかった。 佳樹は、暁彦と杏子の一番そばにいたから、誰よりもふたりのことを知っていたと思っていたが、 実は何も知らなかったような気がした。佳樹は、もとの杏子に戻ってほしくて、杏子のそばに いようと決めた。
「おまえが、やることには何も言わない。だけど、最後には、オレの所へ戻って来い。 何があっても必ず戻ると約束してくれ」
佳樹は、そうすることで、杏子を守ることにした。杏子は、いつしか夜の街を渡り歩くようになっていた。佳樹に当てつけるように メチャクチャして、傷つくだけ傷ついて、そして、言われたとおりに佳樹の胸に戻ってきて泣いていた。 そんな日々の繰り返しだった。落ちるだけ落ちた杏子は、ある日、ふっきれたように遊び歩くのを やめた。そして、また、カメラの夢に向かいはじめていた。
佳樹は、杏子に何があったか聞かなかった。杏子が自分を必要としていれば、いつでも そばにいたいと思ったが、必要としていないのなら、それでいいと思っていた。 杏子の自由にさせたいと。それが、佳樹にできる、たったひとつのつぐないだった。
「ところで、何してたんだ?」
「え、ああ、あれね・・・」
「何、埋めてた?」
杏子はちょっと考えると
「昨日、咲子さんに会ったの。」
と、まっすぐ墓前を見つめて言った。
「咲子・・・ちゃんに?」
佳樹は、驚いたように言った。杏子は黙ってうなづいた。
「杏子が呼び出したのか?」
「そう。咲子さん、すごくいい人だった。・・・彼女の友達だから、 あの娘(こ)もきっといい娘よね」
杏子は、自分自身に確認するように言った。
「暁彦、今頃、天国で、あの娘・・・澄香さんと、赤ちゃんと3人で暮らしてるね」
「杏子、まだわかんないのか? 澄香ちゃんと暁彦は」
「ううん。わかってる。けど、咲子さんに言われちゃったから。」
佳樹は、何も言えず、杏子を見た。杏子は笑ってみせたが、瞳は悲しそうだった。
「フロッピが出てきたの。澄香さん、日記をつけていたんだって。相手の人が誰だったかも わかったわ。」
「そのことなら、前に咲子ちゃんから聞いたけど。・・・もしかして、あのフロッピを?」
「そう。咲子さんからいただいたの。だけど、ちゃんと返してあげようと思って。暁彦のもとへ」
杏子は、そう言いながら、なんとなく立ち上がって、お墓のそばに歩み寄った。 佳樹は思わず、背後から杏子を抱きしめた。杏子の強がりが佳樹には痛いほど感じられ、なんだか、杏子がいとおしく感じられた。
以前の杏子なら、佳樹の胸で泣き続けていた。だが、今の杏子は、違う。
「佳樹、離して」
佳樹は、はっと我に返って、杏子から離れた。
「ごめん」
「佳樹には、柚子ちゃんがいるでしょ。」
杏子は、まっすぐ、お墓をみつめたまま言った。
「あ、ああ」
「昨日は、ちゃんと、会えた?これでも、キューピットのつもりなんだけど」
そういうと、杏子はふりむいて、いたずらっぽく笑った。
「たいしたキューピットだぜ」
佳樹がつぶやいた。
「杏子、ほんとに、いいんだな。これで」
杏子は、大きくうなづくと、
「これ以上、佳樹をしばれないもん。佳樹が、誰を好きか、わかってるのに。」
と言った。
「佳樹、かわった、柚子ちゃんと出会ってから。あたしには、わかるのよ。 物心ついた頃から、ずっと、一緒だったからね」
「柚子ちゃん・・・。友達に誘われてうちのサークル入ってきたけど、テニスは 初心者でね。一生懸命なんだけど、ちっともうまくなんないの。 なんだか、ほっとけなくてね。」
「好きなんでしょ。」
「ずっと昔、こういう気持ちになった事あるよ。・・・幼稚園の頃、暁彦 といつも一緒に遊んでて。気がつくと、いつも、そばに、チビがいるんだ。 なんでも、まねしたがって、どこでもついてきちゃって困ったよ。でも、俺も、暁彦も、不思議と イヤではなかったね。いつだったか、暁彦と、ジャングルジムにのって遊んでたら、 一番上でチビがわんわん泣いていて。登ったはいいけど、降りれなくなっちゃったんだ。 助けに行ったのは、暁彦だった。暁彦がそばに行くと、チビは泣き止んで。 ・・・俺は下で、ふたりを、見てるしかできなかった。あれが答えだった。」
佳樹は、幼いながらも、暁彦にはかなわないと思った。この時から、子供心に 暁彦と杏子を認めていた。だから、杏子のことを好きでも、恋愛感情をいだいたことは なかったのである。
「暁彦がそばに来て、『ほら、大丈夫だよ』って言ってくれて、 ほんとうに、大丈夫なんだって思ったの。暁彦の言うとおり、少しずつ、少しずつ、降りて。 地面に足が着いたときは、なんだかわかんないけど、また、泣けてきて。暁彦、困ってたね・・・」
「あれ以来、ずっと3人一緒だな。」
「暁彦の優しさ、愛だと思ってた。でも、暁彦の優しさは、あたしだけのものじゃなかったのね。」
杏子の瞳が、夕日影に照らされて、一瞬、キラリと光ったのを、佳樹は見逃さなかった。
今、佳樹にできることは、杏子が決めた人生を、認めてあげることだった。
「来年も・・・ここにいるから。たぶん、いや、絶対、ここに来る。杏子も来いとは言わないけど。 待ってるから、俺も、暁彦も。」
「そうね。いつか・・・戻ってこれたらいいね。」
杏子も、もう、迷いが消えていた。
「これで、心置きなく、旅立てる。ありがとう。佳樹。さよなら。暁彦」
杏子は、そう言うと、墓前で、もう一度、手を合わせた。
佳樹は、ぼんやりと、杏子をみつめていた。杏子は一礼すると、佳樹には目もくれず、そのまま 歩きはじめた。
「杏子。」
慌てて、佳樹が声をかける。
杏子は、一瞬、立ち止まったが、そのまま歩きはじめた、 かと思ったら、突然、振り返った。
「卒業証書、あたしの分ももらっておいて」
杏子が、手を降りながら笑顔で叫んだ。
「わかった」
佳樹も慌てて手を振った。遠ざかる杏子の後ろ姿が消えるまで 降り続けていた。
「さよなら、俺の・・・」
最後の言葉は心の中でつぶやいた。
| Sceneに戻る |